政治家・資産家が、基地予定地の辺野古やら各地の一等地を所有していて、日本政府が買い取るまでは、土地の値段は、変わらないのでは?
問題自体は明確で、上司がセクハラをしたのが悪いのだから、そこを解決するべき。
できれば被害者が爆発する前に先に上司の方から被害者たちに謝って「もうしません」と誓ってもらうのが良いと思う。
増田の「嫌じゃない」がどういうレベルの意味なのか分からないが、増田が嫌じゃないから
A.全員被害を受け続ければいい
という選択はあまりすべきではないと思う。はてブに既に出ている
B.2人きりの場合にはよしとする
と上司と話をするか、
ようにするべきだと思う。どちらにしろ人前でセクハラを許容してる姿を見せないようにする、というのは大事だと思う。
あと、もし上司が人としてちゃんとしてる人なのであれば、「女の子たちが貴方のこういう行動に怒りを感じ始めていて、会社に訴えようとしています」という話を増田からしといた方がいい気がする。男は察しない生き物で、拒否されなければ迷惑だと思われてることに気付かないことがあるので。
というのもあるか。唐突であればあるほど上司が受けるダメージが大きく、女子連合が喜ぶパターン。上司を好ましく思うならやるべきではないと思う。
女子連合に参加するかどうかは増田が被害意識を共感できてない点も含めて悩ましいところだけど、
・参加しないだけで何言われるか分かったモンじゃない
・もし次に生理的にダメなヤツから同様のセクハラを受けた場合、味方についてくれる人が誰もいないかも知れない
といったことを考えると、多少共感できなくても参加した方がいいと思う。
折を見て上司に状況を伝えてC(やんわり拒否)、女子連合には消極的参加、が良いのではないかと思う。
以上、提案。
以下女脳用。
上司の魅力を理解しない人たちに囲まれて大変そう。しかも同調圧力って…。嫌かどうかとか個々の問題だし、巻き込むことないよね。
この人はスケープゴートにされてる人だろ
普通の陸自幹部はうまく立ち回って責任を逃れるから悪の権化みたいな言われ方しない
ペーパー成績や体力はいいけど人間関係的なのが苦手な人だったんだよ
将軍一人の意思で計画や実践ができるわけないのに責任者はなぜか彼一人と言うことになっている
陸自の闇だ
まず男ですら平等じゃない
仮に男女平等でないとしたら
イケメン > ブサメン >> (男の壁) >> 女性
というような男の壁があり、女性が不当に低く扱われていることになる。
しかし実際はそうではなく
イケメンと美女 >> (容姿の壁) >> ブサメンとブス
である。
イケメンと女性 >> (容姿の壁) >> ブサメン
ということなのだと思う。
現時点でイケメンと美女は同じ扱いのように思えるので、そもそも男女は平等ではないかと思う。
そして、全ての女性がブサメンより良い扱いをされることを"男女平等"と呼んでいるのではないかと思う。
それぞれ平等に扱われていると思うのは私だけでしょうか。
https://anond.hatelabo.jp/20170819134603
男らしさのない男って、男性社会ではカースト最下位に置かれがち。
当然ながら、女には「男らしさ」が欠けている。
おまえがそういうのしか見てないだけだろ。
ひとこと物申す人たちはまったく深刻に思ってなくて「素直にそう思ったから言ってみただけ」という状態。
むしろ増田が危惧している「正義が暴走している」状況とは正反対じゃないの。
それに「叩きに参加している」という感覚も間違っていると思う。
彼らには横の繋がりはないし、ムーブメントとして連続しているわけでもない。
「周りが言ってるから俺も言っとこう」なんて流されているわけではないだろう(リアルで一つの部屋にいるわけじゃないんだから)。
社会人が主人公だと、うまく日中活躍できないからじゃないのかね
いらないよね、そんなもの。
同情される人は救われてもいいとか、かわいそうじゃなくちゃ救われてはいけないとか、そんなのないと思う。悪人だって救われていい。
助けて欲しいって言えない人だって、助けられていいと思う。
でも、助けられているのにそれを信じられない人はどうしたらいいんだろう?救われているのに、それがわからない人はどうしたらいいんだろう?
助けを信じられない人や救いがわからない人が悪いとは思わない。その人はその人なりの何かがあって、助けを信じられなかったり救いがわからなかったりするんだと思う。
けれども、助けたり救ったりする側がその人の考えまで変えることはできるのだろうか?それはできないと思うし、仮にできたとしたら洗脳だと思う。
あなたを助けました、救いました、助けられたと思ってください、救われたと気づいてください、それはなんか変だと思う。
だから結局は、助けられたり救われたりする側が、助けられた、救われたと思えるまでは、本当に助けられることも本当に救われることもないのだろう、と思う。
そしてこう思うと、助けたり救ったりする側ができることっていうのは、実は本当にちっぽけなものなんじゃないかな、とも思う。
本当に助けられたり救われたりした人は、他の人からの働きかけがきっかけだったのかもしれないけど、自分で助けや救いを掴んだんだ。
だから、誰も本当の意味で人を助けることや救うことはできない。誰も本当の意味で人に助けられたり救われたりすることはない。