2017-08-03

適性のない人間にとって自殺戦略的撤退

何の取柄もなく人に好かれないなら死んじまえ 

悪いことは言わない 

生きたところで負け犬 

だらだらといつまでも生き続けるより思いきりよく燃え尽きよう 

生きるなんてどうせくだらない(映画ファントム・オブ・パラダイス」より)

現代において自殺防止が推進されるのは、社会を維持していくために必要から

苦しくなったら死んでもいいってのが肯定されたら、道徳倫理規範崩壊して、

今の社会システムが周らなくなってしまうからです。

悲しいことに、世の中には生きることの適性が全くない人種一定存在する。

人間社会本質競争共存の二つ。

協調性も無く、競争にも向かないタイプ人間はどうしたって幸せになるのは難しい。

集団から排他され、ピラミッド底辺勝ち組を引き立たせるためだけの踏み台を延々と演じ続けるだけ。

これって残酷だけど、確かな真実なんだよね。

天寿を全うしても、せいぜい80年やそこらの人生

それを多少前倒ししたって、来るべきタイミングが少し早く来たってだけ。

ある程度まで生きて、自分可能性に見切りが付けられるなら、自分の終わりは自分で決めたって悪くないんじゃないかな?

無数の動植物犠牲にして、成り立ってる命なのに、死にたいどうでもいいって惰性で生きるのはある意味すごく僭越な事だし。

そうは言いつつ、オレも家族や友人が自殺するってなったら、実際は殴ってでも止めるんだろう。

大切な人に死なれたら、残された側はたまらなく悲痛になる。

人生の終わりは生物的な限界よりも自分意志で決定すべきって考えていながら、

やはり他者との繋がり…社会的観点からすれば

自殺はして欲しくないことになる。

二律背反だけど、そういう風に考えてしまう。難しい。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん