絶対プロに勝てないのに、地道に練習してるのはなぜなんだろう。
身内で楽しめればそれでいいのだろうか。
たった一度の人生をただのコミュニケーションツールに捧げるなんて、自分には全く理解できない。
それとも自分との戦いなのだろうか?
人の下で自分と戦うなんて惨めに感じないんだろうか?
例えば、思索や芸術の表現には、絶対の正解はない。
大多数はあっけなく忘れ去られるだろうが、それでも自分が何かを残せる可能性は否定できない。
勝ち負けのあるゲームなんて、勝てる可能性のあるやつだけが頑張ればいいんじゃないのか。
Permalink | 記事への反応(2) | 08:27
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プロに勝てるかどうかに関係なく 考えること自体や体を動かすこと自体が気持ちいいから好きって人はたくさんいると思うけど 逆にそれがまったく理解できないって生きてて辛くないの...
そもそも、何かを残す必要あるの?特に、趣味の分野で?? って思う。 何かを残したいなら仕事の分野でやった方が確実に残るだろうし、 趣味にまで何かを残す必要性を全く感じない...
逆じゃない? 会社で何か残しても、残るのは会社の名前だけ 個人名なんて残らない 逆に、趣味ですごい技術を作ったりすれば 名前がずっと残る