2017-07-06

ネットウォッチャーメンタリティが謎

先日、とある機会があって、ネットウォッチャーの人の話を聞く機会があった。私はそういった話に疎いので、ほとんどの人の名前が分からなかったが、聞いた名前検索してみると「ああこの人のアイコンとかIDは見たことある」といった感じだった。

話している内容は、この人の発言ツイート)は矛盾している・・・・・・。とか、この人の気に入らない点は、○○に対しての理解が間違っていて〜とか、ツイートに対して駄目だしをして、その発言いか不快か、ないし、不適切であるかという話に盛り上がっていた。(補足しておくと、これは政治家アカウントとかではなく、個人がやっているTwitterアカウント、いわゆるアルファTwitterの人に対して向けられていた)

私は思うのだが、見ていて不快に思うのならば、そのアカウントブロック、ないしミュートしてしまえば良いのでは無いのだろうかということだ。Twitter情報を取捨選択できるツールなわけだから個人個人には合う合わないがあるのは当然で、自分に合わないと感じたら、その人のツイートを目にしないようにすることができるようなっている。

にもかかわらず、そのような人のツイートを見て、不快だとか、この人は間違っているとか、商売っ気があって嫌いとか、浅学だから勉強し直せとか、そういう議論をすることは全く有意義に思えなかった。この場合ネットウォッチャーという表現ある意味では間違っていて、特定個人ウォッチしているわけだから、いわゆる粘着という言い方の方が合っているのかもしれない。

しかし、私には本当に分からない。なぜ、不快な気分になるツイート自発的に見に行くのだろうか。嫌なら見なければ良い話では無いのだろうか。

  • じゃあそんな人の話を聞かないでもっと有意義なことに時間を使えばいいんじゃね

  • 人は成長し、変化する。知識を増やしたり、改心したり、謙虚になったりとかいろいろね。 「嫌なら見なければ良い」では、人の成長を見届けることはできないだろう。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん