「私を応援してくださった皆さん、今回は本当にありがとうございます。
そんな皆さんには本当に申し訳ないのですが、皆さんを悲しませる、失望させてしまうニュースが、間もなく出てしまいます。
皆さんひとりひとりの投票のおかげで今この場所に立てているのに、本当に申し訳ありません。
みたいなのじゃダメだったの?
もちろんこんなふつうのスピーチでは新聞の一面を飾ることはなかっただろうけど、あまりにも、あまりにも不誠実。
私の周囲にもなんで怒ってるのかわからない。と言ってる人多くてびっくりした。
最近はマストドンがおもしろくてあちこちのインスタンスにいっては愚にもつかないことをトゥートしては悦にいっている。初期のTwitterいまでもプロフィールなどによくみるリプライなどのやりとりのない人はリムるという宣言。マストドンでも目立つようになってきた。絡みが再開すればフォロバを考えてもいいですと。「何様?」と思うことはさておき、簡易チャットとして使うのはもっと手頃なところがあるような気がするんだけどといつも思う。Twitterのときも思った。今やざっくりとしたTLなんかみることは不可能なのでどういうことになっているかはさっぱりわからないけど140文字ギリギリにアカウントギッシリつけた「おはあり」を送りまくってるのは朝のよくある風景だった。同じことをさっそくマストドンで繰り返そうとしている。マストドンはそれぞれインスタンスを個人単位で作ることができるので「そういうこと」専用の場というのがほどなくできて散り散りになっていくということを考えると一過性の今しか見ることのできない風景で有り難いものなのかもしれない。だが、やっぱりなぜかわかりそうでわからないがムカつく。自分がその絡みに入ってないという妬みなのかもしれないしそう思われること必至なので黙ってはいるが。
うちの母親は自分の思い(予定・計画)通りになってないとすぐに怒り出す人で、
怒りのオナニーでも始まるんじゃないの?