家畜として人間に食べられるために完全な管理の下で産まれさせられた牛や豚や鶏たち。
ムチ打たれながら走らされる馬たち。
動物園の狭い檻で同じ場所をぐるぐると回っている発狂した動物たち。
何の権利があって他種の生命をあそこまで蹂躙することが許されるというと、やはり我々人類が万物の霊長だからでしょ。
少なくとも僕たちはそうやって自分を許し、納得させているはずだ。
そうじゃなきゃ、どうやってあんなひどい事をして平気で居られようか。
そう思えてなきゃ爆発する。
罪を背負ったこの心が。
そうならないようにしたい、でも他種の生命は対等だと思ってる人たちもいる。
そういう人たちはPETAとかで頑張ってる。
でも肉や競馬を嗜むためにはやっぱりあの蹂躙理由を説明できなきゃならんでしょ。
だから僕らはこう叫ぶんだ。
僕らこそ万物の霊長だと。
慈しむも、食すも、弄ぶも、それら全てを安全な場所で娯楽として行うも、全ての生命をそうやって蹂躙する権利が我々人類に有るから問題ないんだと。
傲慢じゃないんだ。
涙を流しながらそう叫ぶんだ。