曖昧なまま定型文として口に出してた気がするけど、実はそんな感情を他人に抱いたことがない気がする。
この人に幸せになってほしい。とは思ったことがある。
この人が幸せになるために手伝えることがあるなら全力で手伝いたい。と思ったこともある。
この人が幸せになるためのパートナーとして選ぶ相手が自分であればいいな。と思ったこともある。
でもあらゆる面で助けが必要な子供じゃないんだから、幸せに向かう主体はあくまでも本人なのでは。
君を幸せにしたいって、あなた一人ではどうせ幸せになれないよ的な、ものすごく傲慢で馬鹿にした言葉に思えてしまう。
でも幸せになってほしいと思ってるよ、なんて言うと大抵の人から突き放したようなイメージを持たれてしまう。ズレてんだろうね。
幸せにしてもらうの待ちの人と、幸せにしてあげたい人がマッチングするための言葉なのかな。そんな人が世の中には多いんだろうか。