2017-05-02

日本礼賛コピー国民思想とは無関係

「私、日本人でよかった」という惹句のついたポスター京都の町に貼られている問題だが、

この惹句は決してコピーライターイデオロギーを含んだものではないと思う。

ただ単に、ニワカな人がそれをごまかすために派手な言葉を使ってしまっただけのことだ。

「ちゃんと年賀状、ちゃんと大人」「日本よ、これが映画だ」等も同様の例だろう。

 

日本経済成長に伴って教養の無い高学歴者が大量に生まれそいつらが勘違いして

クリエイティブの場にでしゃばり始めたせいで、広告言葉が無残に劣化してしまった。

昔に脚光を浴びた「街の遊撃手」なんかも、俺に言わせれば凡人の陳腐な発想に過ぎない。

馬鹿コピーライターのしたり顔が想像できて、その道化ぶりはむしろ共感性羞恥案件だろう。

 

http://blog.livedoor.jp/idolookami/archives/44261826.html

アイドル業界も度々無教養広告屋被害に遭っているが、これは社会右傾化左傾化とは

一切関係が無い。格差が穏やかな社会副作用として、文化的弱者学歴を手に入れてしまうせいだ。

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