○朝食:なし
○夕食:ご飯、納豆(二つ)、減塩野菜たっぷり味噌汁(フリーズドライ)、4種の緑黄色野菜とキャベツのサラダ、穴子の天ぷら
○調子
はややー。
腰は痛いし、太ももは痛いし、花粉症で涙が出るし、仕様は変更されるし、新人さんの面倒はみないといけないし、対抗システムがいつまでたっても仕様を決めないし。
なんか仕事が嫌になってきた、ちょっと当分の間、仕事へのモチベーションを落とし目でいこう。
とくに対抗システムなにしとんねん、パラメータ名とか決めるだけなんだから、さっさと決めろや。
●DS
1Fと2Fをうろうろ、調子乗って3Fに行ったらボッコボコにされた。
●3DS
持ち歩くの忘れてた。
ログボのみ。
○ポケとる
・ポケモンサファリ攻略中(トサキント、クラブ、キングラー、ピカチュウ(おくげさま)、ピカチュウ(まいこはん)、プラスル、を捕獲)
大好きな悪ポケの一人である、サザンドラのスキルパワー掘りは……
いれかえ+だと最強にするまで120回もあるのか、さすがにこれは現実的じゃないよなあ。
やんないです。
デイリー要素のみ。
ログボのみ。
えいぎょうのごくいをおおしえします。きゃくにはえがおでせっします。でもきゃくなんてくそくらえです。きゃくはみがってです。だからすこしでもちょうしこいたことをいってきたらがつんとはねのけます。もちろんえがおでです。えがおでそれはむりですとはっきりいしをつたえます。これがじゅうようです。きゃくはすぐになめたたいどをとってきます。それをふせぐにはだめなものはだめとびしっということです。ただ、ひょうじょうだけはえがおです。えがおでびしゃっとしゃっとあうとしてやるのです。きゃくなんてまともなにんげんではないことをきもにめいじておきましょう。きをつかうひつようはありません。きゃくなんてろくでもないやつらばかりなのですから。
・自己開示 できない
・自信 持つ方法
・声かけられない
・なぜ人見知りになるのか
・一日中寝てる
・気分の変動を押さえる 薬
・誰かに責められてる気がする
これを書くためにGoogleの検索履歴見たけどすげーいい この一週間何を考えて何を買おうとしていたのか一目瞭然である(恐ろしい時代)
世界最大級の広告代理店がユーチューブから撤退って記事を見たんだけど、ユーチューバーはどうなっちゃうんだろうね。「ユーチューバーとして食っていく!」って意気込んでいた人、一瞬にして終わっちゃうね。ユーチューバーも雇用する側、される側という主従関係は会社員と変わらないわけだから、そういうとこが怖いよね〜。しかも会社員よりサクッと終わっちゃうし。あれで食っていくなんて本気で思ってるのは....なんだかなぁ〜(笑)
聴こえる方の耳へ何かしらの補助・伝達をするようなものはないのでしょうか?
いろんな病院ウォークラリーして、インターネットで評判の医者にセカンドオピニオン受けたら「手に負えんから大学病院池」だとさ。
大学病院では、「そのへんの個人の医院とできることかわらんよ」と言われて絶望。ずっと治療つづけているけど、なかなか良くならない。
悩んで本に救いを求めたら、「病は気から」「病気になるんは、心に甘えがあるから」「病気を気にするから、ますます状況が悪くなる」とか
他人の傷口に塩塗るようなことしか書いてなかったりスルんだよね。。死にたい。。。
本とか読んでも、ひどいこと書いてあって救いにならんな~とは思うけど、
・努力しても報われるとは限らないけど、努力しないと状況は変わらないこと
・努力が報われないのは、努力の方向性か量、あるいは両方が足りないこと
・不機嫌(怒っていたり、落ち込んでいたり、悩んでいたり)だと、パフォーマンスが落ちるし、人も運も離れていく
・諦めたらそこで試合終了
であること信じて、
感謝できること、楽しめること
を実行して行くしかないんでしょうね。。。
努力を続けて、頭を使っていれば、
当初思い描いていたのとは違うかもしれないけど
努力が報われることを信じて。
お互い期待しないで、気長に頑張りましょう。
頭影効果(head shadow effect)っていうのがあって、
失聴側から話しかけられると反対の耳に届くまでに自分の頭蓋骨や脳などが邪魔をして聞こえない。
このことがあまり知られてない上に、
日本耳鼻咽喉科学会が一側聾のページで「実生活で大きなハンディキャップとはなりません。」と書いたり
自身が片耳の有名人が特に困らないと発言して皆それを信じるので「そんなことで困るお前は異常だ」みたいな空気になるのが結構辛い。
何かの伝達が聞こえなくてもそもそも聞こえてないので聞き返しようがなく
仮に5分おきに失聴側を見て確認しておかしい人扱いされても、その間でされた声掛けに気付かなければただの無駄になる。
超短期の付き合いの人間にどこまで伝えるか、伝えたとしても相手が繰り返したらどうしようもなくて悶々としている。
という訳でここに書かせてもらいました。少しでも知ってる人が増えたらいいな
アイドルマスターミリオンライブのプロデューサーの皆様、まずは4thLIVEお疲れ様でした。3日間どの公演も本当に素晴らしいものでしたね。3日目の最後には嬉しい発表や一歩一歩進んだ先にあるものを期待させるようなPVの公開もあり、ミリオンライブのこの先への希望を与えてくれるライブだったと思います。
私は運良く3日間全て現地でライブに参加することができました。そして演者である小岩井ことりさんの体現する天空橋朋花を観て、ライブ後に様々な朋花Pの方々のツイート等を拝見して、また自分の中の「天空橋朋花観」の大きな変化を感じたので、それをこの時の考えの記録として、はてな匿名ダイアリーという人の目に触れる形で文字に起こしたいと思います。チラシの裏にしない理由はこれを読んで皆様がどう思ったかをURL付きツイートやブクマコメなどを通して知りたいから、ツイッターにしない理由は直接繋がりのある方々に知られるとちょっと恥ずかしいからです。
まずプロデューサーと子豚ちゃんの話をします。以前の私は朋花の担当プロデューサーであることにこだわり、子豚ちゃんであることをよしとしていませんでした。ゲーム内でも朋花はプロデューサーに対して高い意識を求め、それに応えられなければ罰やお仕置きが仄めかされたり、応えられれば聖母に相応しい者として認めてくれたりする訳です。私はそんな朋花とプロデューサーの信頼関係がとても好きで、そんな関係を築けるプロデューサーでありたいと思っています。それは今も変わりません。
ですが朋花の担当プロデューサーでなければ見られない朋花の姿があるのと同じくらい、子豚ちゃんでなければ見られないものもある、と思うようになりました。このような考えをもったのは、武道館で天空橋朋花として聖母の愛を振りまく小岩井ことりさんを見てからです。正直一撃で子豚ちゃんになりました。以前小岩井ことりさんが最初の挨拶で「子豚ちゃんたち」と呼びかけたことに少し思うところがあり、担当プロデューサーとして武道館に行こう、と決めていたのですが、サプライズとあまりの天空橋朋花っぷりにやられてしまいました。ですがこの経験が、より様々な側面から天空橋朋花について考えてみるきっかけとなりました。
ここらへん本当にまとまりなくて何が言いたいのかよく分からないですね。要はこだわりを持つのもいいけど色んな視点から見てみると発見があって楽しいなぁってことに気づいたってだけです。当たり前のことですがこの時やっとこんなことに気づきました。
余談ですがそんなことがあっての二日目の最初の挨拶、プロデューサーでも子豚ちゃんでもいいからとにかくめいっぱい楽しもうと思って望んだら小岩井ことりさんと朋花に「プロデューサーさんと子豚ちゃんたち」と呼びかけられて死にそうになりました。小岩井ことりさんと天空橋朋花に自分の考えを全て肯定されたような気分になりました。本当に余談ですね。
ここからプロデューサーと従者の話をします。先に断っておきますがこれらは全て私独自の解釈で、ゲーム中ではプロデューサーという立場に聖母という世界観の上で従者という言葉があてがわれている、という感じだと思います。(パっと見つかった「プロデューサーさん、従者以上の存在に〜」から考えていますが、他も大体そんな感じだったはずです)
以前私は、「より多くの人を子豚ちゃんにし、救済するという朋花の願いを叶えるために朋花を聖母として完成させる」というプロデュース方針を打ち出しました。これは彼女の中に聖母たろうとする朋花と、15歳ありのままの朋花が共存している、と仮定した上で、前者を推進していく、というものです。聖母になるという使命を完遂させることで、そこから解放してあげたい、という意図も多少は含まれていたと思います。過去の私が決めたこの方針は「従者」としてのものであって「プロデューサー」的ではないなぁと最近思うようになりました。
では「プロデューサー」的なプロデュース方針とどのようなものでしょうか。私は「聖母としての朋花も、15歳の朋花も、丸ごとひっくるめて『アイドル』天空橋朋花としてプロデュースする」ことだと考えます。先日ツイッターで「#天空橋朋花こんなところもあるんだ選手権」というタグを見かけました。もし私が天空橋朋花を聖母としてプロデュースしていくとしたら、こんなにも沢山の天空橋朋花の魅力を取りこぼしてしまうのかと思い、それは天空橋朋花の担当プロデューサーとして見過ごせないと思いました。
ですが、どちらの方針が正しいか、私は未だ結論が出せずにいます。朋花は聖母として子豚ちゃんの上に君臨するためにアイドルになっています。その一助となりたいという思いも私の中に確かにあります。子豚ちゃんの求める姿が理想の聖母、というのは本人談ですが、15歳のありのままではしゃぎ、笑う彼女の姿を子豚ちゃんたちが求めているかは子豚ちゃんの視点を獲得したての私ではまだ判断ができません。朋花自身が聖母として振る舞おうとする上でそういった姿を子豚ちゃんたちの前に出したがるかという疑問もあります。皆様はどうお考えでしょうか。皆様のプロデュース方針はどちらに近いものでしょうか。
以上で本文は終わりです。ここまで読んでいただきありがとうございました。この文章はまた朋花に関する文章を書きたいという衝動に駆られて勢いで書き殴ったものなので、誤字脱字や読みづらい部分などあったかと思いますが、これが今の私の考えです。
多くの方にこの文章を読んでもらい、意見や感想を聞いてみたいので、よければURL付きツイートやブクマコメ等していただけると嬉しいです。
散々以前とかまたとか言っているように過去にもはてな匿名ダイアリーで朋花について書いたことがあるのですが、恥ずかしくて自分では読み直せないような文章なのでリンクは乗せません。興味がおありでしたら適当に検索すればヒットするかと思います。
ブス、バカ、性悪、怠惰を兼ね備えたクソ女なのに、りっぱに仕事の成功や結婚や子供を求められて息苦しい。どれ一つ満足な結果を出せそうにない。逆にすごい。
なんで無理かと言うと、とにかく頑張れない。頑張りたい、頑張らねば、とは思うけど行動できない。
常に監視されているようなザワザワ感がある。他人に見られながら文字って書けませんよね、あの感覚。あの感覚が怖くて不快で行動できない。
それでも私は健康で文化的な人間という位置づけだから、仕事も結婚も子育ても当たり前にこなさないといけない。
絶対どれも無理だけど、どれも手をつけないといけない。
適当な人と結婚して、流産してってしたら何も言われないかなって、こんな倫理観も何もないことカジュアルに考えるからクソ女。
だけど私は自分が楽になりたいから、こんなこと考えますって知られてしまったら、勝手に感じてる重荷が降りるかな。
疏水百選(そすいひゃくせん)とは、農林水産省が日本の農業を支えてきた代表的な用水を選定して、用水によりもたらされる
“水・土・里”(みどり)を次世代に伝え、維持する活動である。
農林水産省と「疏水百選」実施事務局が合同で、2006年(平成18年)2月3日に決定したもの。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%96%8F%E6%B0%B4%E7%99%BE%E9%81%B8