東京といえば真っ先に浮かんでくるのは、むかし住んでいた山手線内側のアパート(マンションという名前だったが4階建てのそれはその前後に住んだアパートと何ら変わりなかった)の管理人をやってたばあさんだ。管理人と言いながらたぶんそのマンションを立てたのはばあさんで、つまりは東京土着の地主だ。だが、ばあさんからはそんな裕福な雰囲気は一切漂ってこなかった。土建関係の仕事を一家でやっていたからそこそこ儲け話もあったと思うのだが、それ以上に出来の悪い孫達の持ち出しが多いようだった。
このばあさん、戦後の復興期に男どもに混じって現場で叩き上げてきた強者で、30年前の当時でさえ、真っ昼間からもろ肌脱いで船に入れたセメントを捏ねている豪の者だった。垂乳根が丸見えでも気にしないで、通りがかりの私に「おう!」とか声をかけてくる。こっちはビビってしまって声も出ない。
その近所の魚屋で、よく100円のアジのひらきを買った。その魚屋、その周辺の高級住宅の御用聞きで経営を立てていて、別に100円の干物など売る必要はなかった。一心太助のように「今日はタイのいいのが入ったからお持ちしましたよ」みたいに訪問してはその場で「お造りにしましょう」と包丁さばきを見せる。そういう仕事なのに、律儀に店の前でアジのひらきを干していた。私はその100円のアジ以外買ったことはなかったが、よく「これもってきなよ」と、それ以上に高級なオマケを付けてくれた。
秋に早朝の公園に行くと、銀杏を拾いに来ている人を見た。毎年来るのだそうだ。古木となった銀杏の木と同じくらいむかしから、ずっとその公園には銀杏を拾う人がやってくる。
私にとって東京とはそういうところだ。おしゃれな街でも夢が詰まった街でもない。土着の人々がむかしからの暮らしを立てている場所だ。そこに通りすがりとして、私のようなよそ者が数年とか10年とか、あるいは数十年とか一生とか滞在する。その通りすがりが、いつかは東京の一部になるのだろう。
そうやって街は続いていく。
過去に読んだこのエントリがずっと自分の心に残っていた。 東京には何もない、という人の話 | たまのもり 東京って、遊ぶ「結果」はたくさんあるんだよね。 エントリの中のこ...
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現実の平凡さ・冷たさを離れ、甘美で、空想的・情緒的である。 東京から 一度 離れてみれば わかりますよ。 http://anond.hatelabo.jp/20170319001055
よそ者の集まりの街が何カッコつけてんの たくさんのよそ者の想いは時代が立つと全く赤の他人の想いで上書きされていく 引継ぎなんて全くない、かろうじてガワだけが継続される そ...
お気の毒に...
http://anond.hatelabo.jp/20170319001055 ただそれだけなのにコンプレックス丸出しの文章がなんか良いこと言ってる的に感じてしまうんだよね