2017-03-09

「がんばった」って褒めるのいい加減やめない?

学生テストでいい点を取ったら「がんばったね」って褒められなかっただろうか?

「がんばったね」という言葉は、褒め言葉として非常によく使われる。

がんばったってのは、努力を褒める言葉だと思うが、いい加減努力だけを褒めるのはやめないか

 

人生でも結果がすべてなわけで、

かの偉い人が「成果=考え方×熱意×能力」といったが、

努力(熱意)だけあっても成果は出ない。

考え方か能力が0なら成果は0になるわけだ。

それを努力こそが美徳のような考えがはびこっているのは、ちょっとおかしな気がする。

 

例えば、ブラック企業にずっと残っている人間 ※このブラック企業とは激務薄給の様な企業を指す。

責任感が強い」とか、「周りのためにがんばっている」とか、よくわからないことを言い出す。

欠陥のある組織に属しても、メリットはない。その判断ができないまたは行動ができない無能なだけだ。

 

もちろん努力否定しない。

大切なこと

「適切な目標設定をして、最適な方法で、最大限努力をする」

ことだ。

 

しかし『適切な目標設定をして、最適な方法で』という考えが、まるまる抜けている。

マラソンコースを逆に走っても、決してゴールはできない。

浜辺で走っても、いいタイムは出せない。

そういうことだ。

 

から、いい加減努力を褒めるのはやめにしたらどうだろうか?

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