2017-02-18

プリキュア馬鹿にする大人になりたくない

プリキュア映画を見た。

愛とか正義とか友情とかに必死になって、それらを貫くことを決して疑わない心をプリキュアは持っていた。

しかし一緒に見ていた友人は、それを見て笑う。つい私もつられて笑ってみたが、画面の向こうとはいえど純粋彼女たちにこんな振る舞いをしてしまうことが心底嫌だった。

純粋さや曲がったところのない綺麗な心に対して、私は何を馬鹿にできるのだろう?

斜に構えて物事に真面目に取り組めない友人や私の浅さがそこで浮き彫りになったようだった。

ひとつ一生懸命になれなかった私たちは、日陰者だ。まっすぐと生きていくプリキュアたちはきっと太陽に照らされ堂々と笑って生きていけるだろう。

しかし、私だってなりたくて日陰者になったわけではなかった。

必死になっていると笑われるという刷り込みがいつの間にか身に染みついていただけなのだ

そうなれるのであれば、私はプリキュアのようになりたい。

愛とか正義とか友情とか、今まで散々馬鹿にしてきたもの必死になってみたい。

何かに一生懸命になって、まっすぐと生きて、堂々と歩きたい。

プリキュア馬鹿にする大人になんてなりたくない。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん