毎日毎日、泣き続けている。一人子どももいるけど、今まであった幸せもなかったように地獄のように、泣き続けてる。
最悪。
染色体異常の流産だったから仕方ないけど、よりによって、なんでうちだったんだよ。
くそ。
こんなん増田くらいでしか聞けないことなので、声優の演技力というかそういうのについて疑問。
個人的に思ってることなので俺が正しいとか言うつもりはないのだが、この人って上手いけど、上手いんだけどどうなのかな?って思う人が何人かいる。
など。全員トップクラスの実力を持っているのはわかるし物凄くいい声をしていて、演技もうまいとは思うんだが、声の自由度?というか演技の幅?というか感情の高低が少ないように聞こえるんだけど、どうなんだろう?何やっても同じ感じのキャラ、ってのは声の個性で当ててる面もあると思うから仕方ない気はするけど。
なんか、ああ、怒った演技、悲しい演技をうまくしてるな、とは思うんだけど、声を当ててるキャラが感情を出してるようには素直に聞けないというか…
いつも映画とかアニメとか見ていて、上記の人たちが出てくるとなんとなくああいつもの平均点の感じの声なんだろうなあとか思ってしまう。
上手いはずなのに、こういう違和感を持つ声優とかいないでしょうかね?
俺が耳音痴か、単なる好き嫌いでそう聞こえるだけなのか、演出が悪いのか(上記のひとでもうしとらの小山力也とか、C3POの野沢那智とかはすごい好き)どうなのか、長いこと疑問だったので、、
ちなみに好きな声優は大塚明夫とか江原正士とか山寺宏一とか沢城みゆきとか榊原良子とか、超普通です
あと逆に松田洋治とかすごいうまいと思うんだけど、宮崎駿の耳が悪いって話のときに、松田使ってるくらいだしみたいに名前が出てて驚いたりしたんだけど。結構声優のうまさの感じ方って個人差あるんでしょうか?
産経ってたまにいやこれアカンでしょ…って記事あるじゃん(特に産経抄とか)
でも産経新聞取ってる奴は何がおかしいの?って感じで普通に読んでるし、アカンって…ってなる奴は金出して購読したりしないわけよ
んでGATEも作者と価値観共有してる奴しか読まなかっただろうし、アカンわ…ってなる奴は読まなかったと思うんだな
でもそれがアニメになって、地上波に乗ったら、「原作を読んでない」奴だけじゃなくて「原作を読まない」奴にも見せつけちゃうわけよ
産経ソースでスレ立てられて、産経の記事がホッテントリ入っちゃうわけよ
内容がアレでも正しいと思う奴しか見てなかったら賛否両論にはならんし荒れなかったわけよ
でも晒されちゃったわけじゃん
当然つっこまれるじゃん
でも自分で購読してる奴にとってそれは正しい、というかそれが間違ってると思うことが間違ってるわけで
んで信者とアンチの争いってのも内容が正しいか正しくないかじゃなくて「正しいと思う」奴と「正しくないと思う」奴の争いなのね
結局分かりあえない
んで「正しくないと思う」奴が矛盾点を指摘しても向こうには通じないし、「正しいと思う」側が意見を主張しても向こうにはいやいや間違ってるって!ってなってわかりあえんのよ
でもこうやって色々可視化されちゃったのは結果的に良かったんじゃないですかね
多分
仙台、神戸、名古屋は政令指定都市だから県市合併して県名を変更すべき。
神奈川は人口多すぎ政令市多すぎで分裂してどうぞ。ややこしいから横浜市神奈川区は区名変更してどうぞ。
北海道は許す。
山口市→下関市を県庁所在地に変更、山口県→下関県に名称変更。
一平ちゃんのチョコレート味っていう地雷を自ら踏んだ挙句に残ししたというエピソードでブログのPVを稼ぐの。
はてなーは「お残しは許しまへんで」の人多いじゃん。ちょっと前にお残ししてもいいじゃんって主張してた増田が死ぬほど叩かれてたのは記憶違いだったか。
だいたい同意。誰でも閲覧できる状況で何かを支持したのならそれについての批判は飛んできても仕方がない。
でもさぁ…やっぱキモイよ。
現在のコンピュータの基礎を作ったチューリングが、第二次大戦中のドイツの暗号機エニグマの解読に挑むというイギリスの映画。
コンビニの中華まんがぱっと見、何まんなのかわからなくて注文する勇気がない。
しかし!
お前はカレーまんなのか?ピザまんなのか?それともなんとかチーズまんなのか?
しかし!
僕 :肉まんください
僕:あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!
(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!! )
僕:じゃあカレーまんください
僕:あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!
(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!! )
上記の例で肉まんないって言われたんなら、豚まんでええやん、と思った人、あなた人見知り素人ですね。
人見知りにとって折衝はなるべく避けたい事案。
上記の例でいうと、あそこで豚まんを頼むと、豚まんのくだりでカレーまんを頼む精神力はもう残っていないのである。
つまり本命であった肉まんとカレーまんのどちらも手に入らないということ。
だから豚まんではなくカレーマンの折衝を試みたのである。賭けである。
ピザまんを提案されたが、じゃあ豚まんで、と話を戻して要望を伝えるのはあまりにも敷居が高い。
結果、ふたつともゲットできずに、ただ精神力を使っておわるのである。
いや近くで見てもわからない。どれが「なにまん」なのか・・・。
POPみたいので書いてあるけど、レジ近くでまじまじと見るのも気まずいんだよ。
後ろで人が待っていなくても、レジのひとに、あ・この人中華まん見てる、とか思われるがものすごくいやだ。
まじまじとPOPを見て、何の「まん」なのかを判断するのはかなり精神力が必要。
店員は客などほとんど覚えていないし自意識過剰という人もいるだろう、
でも人見知りにとってレジ前の商品を店員にこと伝えて注文することはすごく勇気とパワーを使う。
中華まんがひとつ売れて、2個目が奥のほうにおいてある場合、あれはなにまんなのかといつも考えさせられる。
くもってて黄色いのかオレンジっぽい色してるのもあるしお前はなにまんなんだよ、と。
いつもガムとかレジ前の陳列棚を2、3週商品を選ぶふりをして、
ぐるぐるまわりながら中華まんコーナーをちらちらみて様子をうかがう。
店員との接触を極力さけたい、そんな人は僕以外にもいるはずだ。
気まずいから買わない、買えない、気まずいから言わない、こういう選択肢が僕のなかにある。
「気まずい」が上回る欲求やなにかがあった場合のみ注文したり声にだしたりする。
でもそれはかなり勇気を伴うし、パワーを使うんだ。
肉まんくださいっていったらありません、豚まんでしたーってなったとき、
ほんとうに気まずいんだよ。
なにまんかわかりやすくしてくれ
今日この記事 http://bzfd.it/2jkl8zc がホッテントリに入っていたが、正直言って早野龍五氏の科学者としての良心を疑わざるを得ない内容であった。
ところがブコメを見ると一部を除いて賞賛で溢れかえっている。未だに日本の科学リテラシーが低いことを痛感した。
ということで、彼の主張の何が科学的方法論としておかしいのか、挙げてみたい。
この文章は、あくまでも彼の主張の問題をつくだけのものである。福島が安全かどうかというのは全く別の問題であり、ここではそれに関する議論は一切しない。
これでも噛みつかれそうなので一応書いておくが、別に私自身は特に何かを避けているとかはない。単に面倒だからだ。
例えばSTAP細胞のときに、たとえSTAPが存在したとしてもゲルの切り貼りなどをした小保方氏はguiltyであるという主張は広く受け入れられたが、全く同じことである。
たとえ福島が安全であっても(その可能性はSTAP細胞が実在するよりは遥かにもっともらしいとは思うが)、早野氏の科学的姿勢は適切ではない。
(福島とSTAPを比べるなんて失礼極まりない!放射能乙!と思われた人は論理的思考法が向いていないと思うのでブラウザバックを推奨する)
簡潔に書くと
これはブコメでも幾つか指摘が見られた。Srと言うのは極めて厄介な核種で、崩壊時にβ線しか出さない。
β線はγ線と異なり荷電粒子線であるので、物質中では前方散乱により極めて速くエネルギーを失い、かんたんに遮蔽されてしまう。
外部被曝という点ではこれはよい性質であり、我々はSrの影響を気にする必要はない。
しかしながら内部被曝ではこれは極めて厄介である。基本的にはCsとことなり、正確に体内のSrの量を見積もることはできない。
さらに厄介なことに、Srはアルカリ土類元素であり、Csとことなり生体での半減期が極めて長いことが知られている。
また、体内での蓄積部位も異なるので、影響も異なるはずである。今までの疫学調査でもSrは直接測定できていないわけで、Csほど信用に足る基準値は設けられない。
したがって、特に過去の摂取について、WBCは内部被曝とは一切の関係がない。あたかもWBCが銀の弾丸であるかのように書くのは重大な欺瞞である。
食品に対しても同様で、Srの蓄積は注意深く扱う必要がある。全量検査では図ることができないからだ。
Srはあまり飛散せず、炉中に多く残っていると言われていることから、汚染水はどうなっているかも不明である。
一応心配になった方のために厚労省の資料 http://bit.ly/2iZ4M2u を挙げておくが、殆どの資料では検出限界を下回っているようなので、サンプルでの安全性という点では問題ない。
しかし、保証されているのはそのレベルであって、全量検査は銀の弾丸ではないということに留意されたい。
(別にサンプルしか見てないからダメだと言っているわけではないよ)
こういうソースがあって、このうちこれ由来の放射線は全量検査でき、ここであるモデルを仮定するとそれ以外の放射線についてもこの程度見積もれる、というのが正しい科学である。
WBC!全量検査!安全!というのではなんの説明にもなっていない。
もちろん現地でそういう説明をしているのかもしれないが、すくなくともこのインターネット記事を見るだけでは非科学的な説明しか見当たらない。
そもそも、科学は白黒つける方法論ではない。統計学に従って、確率xx%以上でyyである、ということをいう手法である。
なぜならば、ものを測って何かを予言する際には、次の3つの誤差が必ず発生しうるであるからである。すなわち、「理論誤差」「系統誤差」「統計誤差」。
高校や中学で習う科学では、理論誤差はないものとして扱うが、測定時の機械による系統誤差および個人誤差は必ず生じる。
確率事象を測定することはあまりないから統計誤差には馴染みがないかもしれないが、生物の授業などで習ったのではないか。
また、現実のサイエンスの世界では理論誤差は極めて重要である。上のように限られた情報(例えばCsの量)から何か(例えばSrの量)を推定する場合、必ずモデルが入り、それに伴う誤差が生じるからだ。
科学の世界でも最も統計に対して厳しいのは、早野氏の分野である素粒子・原子核の分野である。
例えばCERNで見つかったHiggs粒子は5σ(99.9999426697%)以上の確率で存在すると確かめられてはじめて発見と相成った。
しかし、彼がいまだかつて福島の問題で統計を議論したことがあるだろうか?
「xx人を検査しyyであったのでモデルzzを仮定すれば福島事故のせいでww病にかかる人は10万人中aa±bb人である」というのが正しい科学的な言い方である。
もしaaが十分少なければ、「1 / bb = nだから、nσすなわちcc.cc%の確率で10万人いても誰もww病にかからない」ということができる。
ではなぜこれをしないのか?
私は全く専門外なので知らないが、おそらく疫学調査などではサンプルが少なすぎる、あるいは理論誤差が大きすぎるため、このような統計処理がうまくできないのではないだろうか。
また、「3σすなわち99.7%で安全です!」と言われても多くの人はむしろ恐怖を覚えるだろう。誰も1000人のうちの3人にはなりたくない。
(本当は3σで安全だからといって3人必ず病気になるわけではない。ただ科学的には「わからない」というだけである。誤解なきよう)
最後の点に関しては100%早野氏に原因があるわけではなく、日本人のリテラシーの低さも問題ではあるが。
しかしだからといってこれは全く言い訳にならない。仮にも原子核物理学者を名乗っているならば、物理学者としての作法を通すべきである。
科学というのはこのように、いわば「歯切れの悪い」ものである。だからこそ、「水素が溶けた水はアンチエイジング!」みたいに歯切れのいいニセ科学が跳梁跋扈するのだ。
科学者はニセ科学に対抗するためにはきちんと科学の流儀を通さなければならない。「わかりやすい」白か黒かの主張は、むしろニセ科学に歩み寄るものではないか。
早野氏を賞賛するコメントでよく見受けられるのは、彼はアウトリーチを通して市民に安心を与えているから素晴らしいのだ、という主張である。
上の記事を読んでも伝わるが、早野氏自身も、市民を安心させるという点は意識していると思われる。
しかしながら、科学者の役割はあくまでも観測対象を客観的に見つめ、客観的な結論を出すことである。その結論を見て本人がどう行動する、あるいは行動すべきかというのは、本人、あるいは政治家が決めるべきことではないか。
もちろん市民に安心を与えようというのが偽善だとかいうつもりはない。しかし、あまりに対象に近づきすぎてしまえば、科学としての客観性が失われてしまう。
上で述べたように、あくまでも科学的にわかるのは、「cc.cc%以上の確率で安全」ということだけである。そのことと「絶対安全」の間には、大きな溝がある。
政治家が情けなさすぎるのか早野氏が科学者としての役割を逸脱しているのか、あるいはその両方なのかはわからないが、いずれにせよ「100%安全」というのは、科学者の言葉ではない。
これが行き過ぎれば、100%STAP細胞があると信じて実験事実を捻じ曲げた、小保方晴子が再び生まれることだってありえないとはいえない。
何度も言うように、私は福島が安全かどうかについては何も言うつもりはないし、この文章は何も言っていない。
ただ言っているのは、早野氏の言動には科学者として疑問を持つものが多いということである。
なお、もしかしたら「東大の物理の偉い先生が言ってるんだから正しいんだよ!」と思う人もいるかもしれない。
補足までに書いておくが、物理の研究者で福島に言及している人のうち、早野氏のように「絶対安全」を繰り返す人と、ここで述べたようなきちんとした科学的手続きを取っている人はだいたい半分ずつくらいである。