「君の名は」は監督のオナニー映画にすぎないという言説をブコメやレビューで見かける。
それはわかる。
宮崎駿は、変態ロリじじいとは言われるかもだけどオナニー云々は言われない。
2人の違いをうまく言語化できないので助けてほしい。
確かにパヤオの映画には多くの人の心に響くようなブレない軸がある。
それがオナニーを超えた先にあるナニか、なんだろうか...
>>新海の場合女のことしか考えてないから精液臭がきつくなる 駿の方は女は添え物 もっと大きいテーマがある
納得w 劇場で女の走るときの乳の揺れ方がリアルすぎて引いた覚えあるわ。
たしかにパヤオの映画(特にラピュタ、もものけ、千尋)を観ると、
テーマの重さに圧倒されてその日しばらくそのことしか考えられなったりする。
>>既にコメントがついてるけど、 パヤオ作品は登場人物すべてに固有の魅力がある感じだけど、新海映画には男女2人しかでてこない感がつよい。
わかる。脇役に魅力があってこその名作だよな
>>オナニーが芸の域にまで昇華されてるだけでオナニーであることには違いないんじゃないのかな
オナニーも極めると誰にも文句言われないもんなんだな。すげえ。
きっとパヤオもこじらせた期間あったろうけど、とっくの昔にそこを抜けたからすごいのかもしれない。
逆にいうと新海はまだアマチュアからプロになりきれてない感がする。
>>オナニー映画って監督の自己満足のための映画で観客の方を向いていないってことだよね。「君の名は。」ほど観客のことを考えて作られた日本映画は他にないのであって、オナニー監督とか言うのは全くの的外れ。
しつこい下ネタも観客のためのことを考えた結果なの?
観客の方を向いているというのはプロデューサー達のおかげでは?
新海の場合女のことしか考えてないから精液臭がきつくなる 駿の方は女は添え物 もっと大きいテーマがある
既にコメントがついてるけど、 パヤオ作品は登場人物すべてに固有の魅力がある感じだけど、新海映画には男女2人しかでてこない感がつよい。
オナニーが芸の域にまで昇華されてるだけでオナニーであることには違いないんじゃないのかな
エヴァの解説本(スキゾかパラノか忘れた)で、庵野秀明が「創作とはオナニーショウである」みたいな発言が収録されていたはず。 宮崎駿はパンツを脱いでいない、みたいなことも言...