http://anond.hatelabo.jp/20170104172317
こういうやつとか。
ぼったくりの意味って書いてる値段と違うとか、最初に提示された値段と違うとかそういう事だよな。
ラーメンが5000円しようが、カレーが10000円しようが提示してある通りならぼったくりでもなんでもない。
お前には関係のない商品だというだけなのに何に噛みつきたいのかほんとわからん。多分ブランド物のスカーフが数万円することとかもこいつらに言わせるとぼったくりなんだろうな。「布のくせにぼったくりだー!」って。
ホッテントリに入ってる記事の多くは、自分で拡散しなくても広く見てもらえる増田というプラットフォームの上でしているから人気になるのであって、同じ内容をツイッターやFacebookで書いても話題にならないだろうなって思う。思うというか実際そうだろ。
着ている服をみてると、同じ日に撮影してるっぽさが良く分かるよねw
「Xという液体を摂取すると気分が高揚し、酩酊感も得られます。しかし、人によっては、摂取することで正確が豹変して、過度に楽観的になったり悲観的になったり攻撃的になったりするため、人間関係のトラブルに繋がることもあります。また、Xの摂取によって平衡感覚が失われるので、歩行中に怪我をしたり事故に巻き込まれたりして、最悪の場合には死亡することもあります。Xは中毒性があり、依存体質になる人も少なくありません。さて、Xの摂取を法律で規制すべきでしょうか?」
「そんな危険なものは規制すべきです」「そんな液体が存在すること自体信じられません」「健全な社会にとっては邪魔なだけです」
「異論はないのですか?」
「ありません」「思いつきません」「こんな恐ろしいものを認める人なんていないでしょう」
歩行者、自転車は車から見えてないのでは?という意識を持って欲しい。
車を運転する側としてやはり事故は面倒だし嫌だから極力安全運転しているつもりだ。
夜中の街灯の少ない道路の曲がり角、黒い服装で歩かれると発見が遅れる。無灯火の自転車も怖い。
車の運転では見えてないことや角度もけっこうあるのだ。
自転車は左側を走りましょうとか交通ルールは縛るためのものではない。安全のためにある。
ルールをお互い守ることで注意すべき点が少なくなり、結果として他の安全確認への注力に割くことができる。
車は左側通行だから、横断するには「右見て左見てもう一度右見てから渡りましょう」という標語がなりたつ。
歩行者の方は衣服の一部に白っぽいのを身につけるとか反射板のキーホルダーつけるとか、自転車の人はライトをちゃんとつけるとか、お互い注意しあえるともっと安心できる。
社会人の方が勉強意欲高いってのはきっとその通りだな。現状は慶應の通信や放送大学がその役割を担っているわけだが、卒業要件と費用が厳しすぎるからな
その大きな意見をだす大きさでは工夫なんかはできなかったの?
そんなにシェアがあるならその手の新分野新事業を手掛けたほうが
わざわざ上乗せして上書きしていく必要があるの?
いまのうちに新しいほうに取り組んどけとか
いいんじゃないの?
22歳で焦る必要はないし婚活パーティーに行くのは気が早すぎると思う。
身を減らすような恋はベッキーが不倫しちゃったようなもので外野から見るとろくなもんじゃないことも多い。最中の本人はめちゃくちゃ楽しいんだけど。人生の中での良い経験と言えるかもしれないけど皆が皆が体験するようなものではないんではないか。
おそらくある種の男性は女性を虜にしてしまうコツを知っているし、そうできる相手を選んでいると思う。
好きになれる相手がいないなら良い結婚生活を送れそうな相手を選んで好きじゃなくてもとりあえず付き合っちゃえばいいと思う。
夢中になれないからダメってことはないよ。セックスするようになればそのうち好きになるしどうしても無理なら別れればいいんだから。
好きになられても何も返せないし申し訳ないってのは「この人自分の何を勘違いして好きになってるのか知らないけど別に大したもんじゃない」と思ってるからで、自己肯定感が低いからなんだよ。
こういうのはもう流行らないのかなぁと思って、ラブひななどを読んでた身としては複雑な気分。笑。
タイトルは忘れちゃったけど、今は小学生低学年向けの漫画、特に女子向けで王道ラブコメが流行っているらしい。
小学生の時にそいうラブコメに慣れてしまうと、中高生になったら飽きるわなぁと思うと、
斬新な設定で読者を引き込む漫画が増えるのも仕方ないのかもね。
楽譜.me というサイトがある。(楽器.me というサイトは別物。)
有名楽曲のコード進行が掲載されているサイトなんだけど、めちゃくちゃなコードが載っている。
コード進行って、Am7のところがAmと載っていたりっていう違いとかは当たり前に存在しているし、
キーが違ったらC F G C という流れが E A B Eと書かれていることはある。
不思議なルールによって、CのところをEmに置き換えている場合もオッケーだったりすることがある。
ギターを弾ける人は、間違ったコードが載っているというと、そういう当たり前の違いのことを想像するかもしれない。
でも、そういう次元じゃない。
ギターが弾ける人は、知っている曲を楽譜.meで検索して弾いてみてほしい。
コードが分かる人は、同様に検索して、コードを見てみてほしい。
トンチンカンきわまりない。当たり前の違いの範囲を逸脱している。
それもそのはず。楽譜.meのすべてのページのフッターに、
「当サイトはディープラーニングによる楽曲分析を行うための実験サイトです。楽譜情報の精度は保証できません。」
と書いてある。
機械学習で曲から耳コピ(?)したコードを掲載しているということだろうか。
機械学習が耳コピしたコードだから、コードが間違っていてもご了承くださいということだろうか。
詳細はよくわからない。
機械学習がコードを耳コピしているなら、精度が悪いのはわかる。
音楽データを機械学習に与えても、ノイズとなる情報が多すぎて大変そうなことが想像できる。
だから、問題はめちゃくちゃなコードが掲載されていること自体にはない。
問題は、この機械学習、本当に学習しているの?っていうところ。
このサイト、少なくとももう半年以上、メチャクチャなコードが掲載された状態が続いている。
見たところ、ユーザが、このコードは間違っているという報告をしたり、正しいコードへの訂正などのフィードバックを与える仕組みは備わってない。
逆に、このコード進行は大体あってますとか、そういうフィードバックすら与えられない。
だったら運営者側が頑張って学習を進めているのかもしれないが、そういう雰囲気でもない。今どれだけ進んだのかという情報はない。
機械学習にはお金も時間もかかるし、ドメイン買ってサイトを立ち上げてって、機械学習をすすめる気がないなら普通めんどくさくてやらない。
機械学習をちゃんとやりたいなら、せめて今学習がどのくらいいい感じになっているかのフィードバックを得たいはず。
そうじゃないとかけたコストがドブに流れていくだけ。
もちろん、当然のようにこのサイトには広告が貼ってある。その収入でサイト運営をやっているのだろう。
収入がどれくらいか我々にはわかりようがないし、機械学習のコストがどれだけかかるのかもやってみないとわからない。
だから、収入のペースがおそすぎて学習が進まないということならわかる。
でも、そもそもフィードバックの仕組みも用意していないし、精度の高い結果を出せているわけでもないし、
機械学習コンテンツとしてはインターネットで公開する意味がまるでない。
コード進行を検索することは、やはりコードを覚えてきた初心者ならやってしまうことだろう。
でも、そういう初心者は、書かれたコードが間違っているのか、自分が間違っているのか、わからない。
人によっては、間違ったまま覚えてしまったり、自分を信じられなくなって何かをあきらめたりするかもしれない。
楽譜.meは、その他のコード紹介サイトには載っていない楽曲まで網羅して載っているので、
ちょっとしたアニソンとかのコードを検索すると、だいたいここがヒットする。
そして意味不明なコードを試してみて、今日も初心者が脱落していく。
コード進行をサイトに載せて人の役に立ちたいなら、このような現実はすぐに何とかしたいと思うのではないのか。
現状、アーティスト名と楽曲名だけを利用して、中身はインチキなコード進行を掲載して、広告収入を集める、「釣り」みたいなサイトになっている。
歌詞とかが載っているわけではなく、法的に対処するのは難しそうだけど、なにもわからん素人が「だまされた!!!」って感じるサイトって、やっぱり悪質なんじゃないのか。
インチキな情報で何かをするとき、「ディープラーニングです、ご了承ください」という文言は本当に便利で、無敵の盾になっている気がする。
そういうの、ディープラーニングの品位が下がるから本当にやめてほしい。はやくグーグル八分にしてほしい、と個人的には思っている。
ぐぐってみると、「コードを自分で耳コピしないのはクソ」とか、
そもそも楽譜.meじゃなくて楽器.meについての話だったりとか、
どうも楽譜.meのおかしさについての情報があまり見つからない。
不思議なチカラで消されるのかもしれない。
親戚だからで職を世話してくれたり
親戚だからで野菜やお米を送ってくれたり(貧乏にはホントに助かる)
年に1,2回会って適当に会話するだけでこういうおいしい権利(?)が得られるんだと
思うと親戚付き合いしといた方が良かったなあと今更ながら思う。
これだけ都市生活が中心になってもお正月(とお盆)は田舎に帰って親戚一同に会するっていう
風習がなくならないのは
困った時の私的な安全網を確保しておくっていう意味合いもあるんだろうな。
面倒臭がらずに親戚付き合いしとけば良かったよ。もう遅いけど。
よく貧困云々で返済不要の奨学金の枠を増やせだとか学費を無料にしろとかあるけど、果たしてそれで何が変わるのだろうか。
奨学金を借りる人たちで問題になるのは以下の2種類だと考えられる。
まず1についてだが、大学卒業後に正社員になれず奨学金を返済できないという場合、たとえ奨学金が返済不要になったとしても、その人が非正規であることには変わりない。
大学を出てもまともな職に就くことも出来ない人間のために、教育と称して国が金を払うのは何の意味があるのだろうか。
よくある理論に「教育は若者を育てるための投資だ」というものがある。
しかし、このタイプの人の奨学金を返済不要にしたところで投資を回収することが出来ないのは明白である。
次に2のタイプの人についてだが,なぜ必要なだけお金を借りないのだろうか。
まともな職に就くことができれば、月々数万の返済は大した負担にならないだろう。(もちろん就職したての頃は大変かもしれないが)
私が考えるに、大学という看板を就けただけの名ばかり大学の存在と、それを見抜けずに大学を出れば就職できると思っているバカの存在であると思う。
まともじゃない大学に入学して借金を返済できなくなってしまうという不幸(自業自得)をなくすためにも、まともな職に就くことが出来ない大学に通う学生に対しては奨学金を払うべきではないかと思う。
例えば、アニメーターや声優などの専門学校に通う学生に対して奨学金を貸すのはあまりに酷な気がする。
同様に、まともな職に就くことの出来ない学部に通う学生には、それを支えることのできる親などの経済力を前提条件とすべきだと考える。
まともな職に就けるであろう学生のみに奨学金を給付すれば、それは投資としても十分回収することができるのではないだろうか。
大学に入る必要がない人が奨学金を借りて無理して大学に入る現状をどうにかしない限り、奨学金を返済できない人が出てきてしまう。
それはもうまともな職に就けないことが予想される学生には奨学金を貸さないなどの、通常のローンと同様な厳正な審査を設けるしかないと考える。