テレビゲームはなるべく避けたいし、ロボットとかは大体二日ぐらいですぐに飽きる。
戦隊ものや仮面ライダーはすぐに新キャラクターが出てきてきりがない。
まだ早い気もしたが、ベイブレードにしたらなかなか良かった。
最初はうまく回せなかったが、1時間もすると自分独自のやり方を見つけて、回せるようになった。
最近のベイブレードはスタジアムの底が回転するので、駒がいろいろな動きをするし、俺がそこそこ本気で回しても、子供に負けたりする。
オスプレイにも「放射性物資」。
報道ステーションで、牧志治さんの水中撮影を紹介しました。 pic.twitter.com/trpi2W5pq3— 田島なおき(被ばく受忍返上) (@ni0615) 2016年12月16日
女だけどエロ漫画って、嫌がる女の弱みを握って無理矢理、嫌なのに感じちゃう、からの性奴隷化、とか、ばっかりじゃない?
あでも、年上のお姉さんが年下の男の子をいたぶる、みたいなのはあるけど。
でも大半が嫌がる女を無理矢理系だと思うけど、これは弱みでも握らないと望む相手とはできないという共通認識が読者にあるからなの?
それとも合意の上でやるのでは興奮しないの?
現実では無理矢理はできないからフィクションで楽しんでいるのか。
AVはどんななのか知らんけども。
[追記]
wow64さんのコメント
「乳でかすぎ」とか「汁飛ばしすぎ」とか他に突っ込むところありそうだけどな。
ので、どこかに記録を残しておこうと思った
色々あって(なくて?)先日、高齢DTと呼ばれる層に突入してしまったので、意を決して風俗に行った
まずどんなタイプの店があるのかも知識がなかったので下調べ・・・
慎重かつ臆病なため迷った末、接触は少ないけど綺麗な人が多い、病気の心配が少ないといった理由から性感エステへ
電話、初めてのラブホ等緊張要素が多かったが、長くなるので割愛。
評判通り嬢がとても綺麗な人でびっくりし、服を脱ぎ合った時点で大興奮。
初めては緊張して勃たないという話も聞いていて心配していたが、私の場合は全然問題なかった
なすがままにマッサージされるのはとても気持ちよくて、自分Mよりなのか?とか思ったり、ブラの外し方分からずあせったり、
イキそうになったら寸止めされて、おお!AVみたいなやりとり本当にされてるよ、とか謎の感動があったりしてほぼ時間通りにフィニッシュ。
と、ここまでは良かったがフィニッシュ後の賢者タイムで急速に「俺何やってんだろ・・・」感が来て本当に虚しかった
かといってあからさまに盛り下がった様子見せると嬢に申し訳ないで適当に世間話してお礼を言って終了。
性欲を満たすのであれば、気に入ったネタを使って自分でするので十分で二度目はないかな。
DTであることに悩み(まだDTだけど)、自分は何を求めているのか長い間考えてきた。
今まで仮説として、悩みの大元は性的接触が欲しいことではなくて、誰かに選ばれたいという承認欲求ではないかと思ってきた。
私の場合、まさにその通りだったようだ。
1歳半の娘がしゃべりはじめ、外で犬を見かけると「ワンワン」猫を見かけると「ニャンニャン」と言うようになった。
NHKのキャラクターのワンワンを見ても「ワンワン」(なぜかうーたんのこともワンワンと言うが)、スヌーピーも「ワンワン」、キティちゃんは「ニャンニャン」。
スヌーピーとキティちゃんはこっちがそう教えたからなんだけど、よく犬と猫の違いが分かるな、と思ってしまう。自分も分かるけどさ。
猫は大体同じような形状してるけど犬って犬種によって全然違う見た目してるし、NHKのワンワンやスヌーピーは二足歩行してるのになんで全部ワンワンだと認識できてるんだろ。
犬を見てニャンニャンと言っても不思議は無いように思うが彼女が間違えたことはない。テレビでイノシシやクマを見てニャンニャンと言っていたことはある。
マイケル・ジャクソンクラスでしか口をきいてもらえないような俺達高レベル批評家陣に批判してもらえるだけでもありがたいと思え
「バーベキュー味ってどういうことだ?」
「食べれば分かるんじゃないか」
「……うん、バーベキューかどうかは微妙だけど、分からなくもない」
「まあ、もとはカレー味だったらしいけどな」
「もう一度食べてみれば分かるんじゃないか」
「……カレー味だ」
「人間の味覚なんてそんなもんだ」
「あ、お誕生日おめでとう」
「おせーよ。先週だぞ俺の誕生日」
「あ、こりゃ失礼」
「お前の、その時流に無理やり乗ろうとする癖なんとかしろ」
「別の人でも生まれたのか?」
「キリストがその日に生まれたかは不明らしいから、あくまで『キリストの誕生日』ではなくて、『キリストの誕生を祝う日』っていったほうが正確かもしれないな」
でも売れてればそんなこと気にならないよね
お前がマイケル・ジャクソンになったら耳傾けてやるよ
てめぇらが一生体験、体感することができないありがたい話をしてやるから
その腐った耳と目を使ってよく聞け、できねえならそのまま死ね
はてぶ、増田だけじゃねえ。
インターネットに運びいる有象無象の陰キャのカスオタク共。お前らもだ。
まずな、インターネットに運びいる可愛そうな陰キャのお前らに教えてやるよ。
お前ステージにあがってんの?
上がってないよな、毎日毎日観客席の下からうんこ垂れ流してご苦労さん。
お前らはな、一生「ありきたり」で終わるんだよ。
お手軽に毎日毎日やってんな。引用して、話して、コメントつけて。
は、、、、、、
毎日毎日ありがたい他人の作ったものを食ってうんこしてるだけ。
ゴミ。手のひらの上で踊ってる。
「お前ら、誰の人生を生きてんの?」
クソつまらんな、お前。
お前がひところ偉そうに言ってるそれ、「お前が作れるの?」
作ってる。書いてる。ブログ書いてるもーーん!!
じゃ、ねえんだよカス。
他人の作ったモンにクソを塗りたくってるだけだろ?
お前らは、なーーーーーんにも、何一つ生み出せてない。
偉そうに、ステージの下で騒いで、ステージの下で馴れ合ってるだけだ。
作れねえじゃん。
welqだかなんだかキュレーションだか、それ、お前自身の話じゃねえじゃん。
いつまで他人の話してんの?地位も名誉も肩書きもキャリアも全て奪ったとき、残るお前ってなに?
自分自身100パーセントでお前が生み出せるものなんて、なんにもねえじゃん。
そのくせ偉そーーーに、「つまんない」だの、ジェンダーだの、クソみたいな事を撒き散らす。
語らない価値を知らない。
そうやって、誰にもなれずに、クソみたいな小金だけを得て
誰かの作った料理を食って
誰かの作った音楽に踊って
誰かの作った物語に感動して
そうして、金を得て上質な何かに触れて、消費して、その上質な何かに触れている自分に価値があると錯覚する。
誰でもできることを、一生繰り返して、他人のものを食ってうんこを吐き出すだけの、クソ生産機だ。
お前らは「みんなの誰か」にはなれない。
予防線を張って、偉そうにまとめて、お前らはステージの下から、下から、全てが見えると思っている。
誰の話をしてんの?お前の話は?
消費したところで、レビューしたところでお前の価値はあがらねえよ。
お前は、カラッポでありきたりで、クソなんだよ。はげば何も残らない。
お前らは知らない。
注目を集める人間の苦悩を。唯一性をもって自分自身で勝負している人間の苦悩を。
才能を信じていいのかわからず、不安になりながら、自分自身だけで戦う人間の苦悩を知らず、
何も生み出せないまま、他人の作ったものを食ってクソをはきだすだけだ。
探せばgoogleにあると思っている。
お手軽にお前が批判する人間が、なぜ「反論しないか」知っているか?
クソダサイって知ってるからだよ。
お前らみたいなカスの一言にいちいち反応して反論するのがダサいって、知ってるんだよ。
その代わりに作り出して、それを無言で叩きつけるのが一番かっこいいって知ってるからだよ。
googleにないものを、そいつらは自分自身で勝負してるから知ってるんだよ。
まぁ、わからないだろうな。ステージに上がらなきゃ、わかんねえよ。
引用して引用して論理性を求めて、その分自分の人生から一生剥離して、
他人の上で踊れ。
他人の上に成り立っているお前の上位互換は、腐るほどいるからな。
お前らはわからない。
ステージに上にあがれない。
上がったことが無い。
会社や仕事やネットじゃない、多くの人間にその場の現実でみつめられて、
パフォーマンスをしたことがない。何かを盾にしている。
自分は何もできないくせに。
誰もお前のことを認知できない。
肩書きも年収もキャリアも学歴も他人の話も奪われたとき、お前は存在しない。
せいぜい誰かにとっての誰かで終わる。
みんなの誰かにはなれない。
よかったな。
そのまま、一生やってろ。
何もできないまま。
一生論理性を追い求めて、予防線を張って、他人の話をして、検索してろ。
ステージの上に立つことがいかに恐ろしいか。それでも全てを捨ててでも。
そして、そのまま死ね。
ーーーーーーーーー追記ーーーーーーーーーーーー
よぉチンカス共。
あがると思ってたよ、ホットエントリーに入ると思ってたよ。
お前らカスは、真実を突かれるとギャーギャー騒いで、誤魔化して、煙に巻いて、笑いものにしてなかったことにしようとする。
コンプレックス丸出しの、結局俺の言葉に、揚げ足取り繕って、そして下でギャーギャーやるだけのカス。
お前らみたいなカスは、どうでもいい。
そういうカスだ。
目に見えている物が全てじゃない。
コメントをつけないだけで、黙ってみているお前。
お前。「しゃべらなかった。コメントをつけなかった。つける気にならなかった」お前。
お前に向けて話をしたい。
これにギャーギャー言って騒いでるゴミはもう手遅れだ。
お前はまだ間に合う。
ケツの穴を俺に差し出せ。
お前は、熱量を信じるか。
論理性を捨てることができる、自分自身の話ができる熱量を、持っているか。
何をしたいのか、ステージにあがりたいのが、それとも、別に望んでいないのかは知らない。
「こんな風になりたくない」と思ったのなら、自分の熱量を信じろ。
方法論が知りたくなる。
ステージの上での、認められ方は、googleには乗っていない。
他人の話をするのでもなく、瞑想や方法論に頼るのではなく、自分自身の道を切り開くとき、お前の話は始まっていく。
そして、結果を残さなければ、目立たなければ、わかせられなければ、そのまま、降りて、またステージの下に還ることになる。
お前は、どれだけボコボコに殴られても、それでもビッグマウスでいられるか。
観客は忘れっぽい。動かなければ、すぐに忘れ去られるぞ。
お前が何かを叶えようとしたとき、googleに頼るのを、辞めろ。
遠回りでも、遠回りでも、その道を選べ。
自己啓発書を読むな。
読んだところで、お前はそいつには、なれない。
お前の道は、その本の先に乗っていない。
ステージに上がる前の、どこにも答えが書いてないものを探すとき、そのとき、己自身に答えがある。
血が冷えていく前の一瞬を信じろ。
無理をするな、休めといわれたときにこそ、手足が引きちぎられても、もがけ。
その先に見た答えが、お前の唯一性だ。
甘えるな。
熱量を信じるか。熱量を信じるか。熱量を、信じることができるか?
どれだけ馬鹿にされても、最後にビッグマウスでいろ。それを、貫け。
周りに、だんだんと自分より、「刹那的な誰もが体感できる娯楽を振りかざす連中」が出てくる。
惨めな気分だろう。惨めな気分になるだろう。
そのときこそ、何も語るな。
ビッグマウスでありながら、堅く口を閉ざせ。
その刹那的な娯楽よりも、お前が望んだ道の方が、誰もなすことができない瞬間だ。
インターネットじゃない。
全てを捨ててでも欲しい何かを得るためのの答えは、100億年経っても、googleには乗らないんだ。
自分自身で100回戦え。そして100回負けろ。
0戦0敗よりも、自分自身で戦ったお前は、誰よりも何よりも美しくかっこいい。
50点でも、60点でもいいから、お前の中にある自分自身を出せ。
頭の中じゃ、あらゆるものは傑作なんだ。
そうして、50点で笑われたら、そのことを、誰にも漏らさず小さく誇れ。
いつかの一回が、全てを。全てを。
熱量を信じることが出来るか。
熱量を信じることが出来るか。
論理性を捨て去れ。予防線を張るな。今まで身に着けてきた防具をはずせ。
語らないことの価値を知れ。
熱量を、信じきることができるか?
ネットは基本的に煽ったもん勝ちで、煽られて反応すると「何ムキになってんのwそんなんだから~」と返されます
つまりネットの良き処世術とは「煽られても耐え抜く強靭なメンタル」となるわけですが、
私はどうやらメンタル防御力が平均以下のためいつも耐え抜くことに苦労しております。
みなさんはどうしてますか?