子どもが横でスヤスヤ寝てるけど、この子が大きくなる20年後30年後、日本と世界がどうなってるのかって。
少なくとも日本は、アホのようにくだらない習性または因習が再生産され続け、遅効性の毒ガスとして充満してる。それがはてな含めネットで日々可視化されて、この社会の空気は無色透明ではなくて、薄っすらあるいは濃厚に紫色であることが、自分のような普段能天気な人間にも嫌になるほど見えてくる。歴史的あるいは文化的には好きなところがたくさんあって、知らない人に親切にされて嬉しいことも多いのに、そういうことと紫色のガスは、表面の皮を少し剥がしたところで、互いに切り離せないほどばっちり癒着し、太い血管で繋がってると思うと、心の底から悲しく、ガッカリする。
表
多少嫌なことがあっても、少しも顔に出さずに相手を気持ちよく迎えること。
おかしいことにはおかしいと言って、正義に基づいて徹底してそれと戦うこと。
ミスの指摘を受けたら、自分の主張はともかく相手の身になって、それを素直に聞き入れること。
裏
何かおかしいなと感じても、何となく空気を読んで、その中身を真剣に追及しないで無言の同意を繰り返すこと。
おかしいと感じたら感じたで、丁寧な対話ではなく、メディアを使った一方的な攻撃を相手が崩れるまで続けること。
あるいは、本当は少数しかいないそうした過剰な攻撃者や、それに反射で賛同する中身の乏しい声を怖れ、信念のわからない無難な火消しをいくつもの企業が行うこと。
この対比は実際雑で、それ自体なら悪くない表が、必ずしもこんな残念な裏として現れるとは限らない。それでもやはり、往々にしてこのように裏返っているのを感じる。
もちろん、こんな気分はかなり昔から、"その時代の20-30代"とか、何かのきっかけでモヤっとした誰かが、その時代なりに感じてきた気分なんだろうから、おそらく別に新しいことではない。とはいえ、2016年に現実にこのように生きているのが自分や家族なのだから、昔と比べて新しくない→なのでそんなことは気にしない、とは全くならない。
もう既にひと通りの教育は受け終わってしまったし、自分の内面もかなり固まってきてて別に勇気もないし、経済的な自由度も下がってるけど、それを理由に諦めて、物事がダメになっていくのをただ見送るのだけはやめる。