父が事故を起こした。まさに免許返納について大喧嘩をした翌日のことだった。
父は頑なに返納を拒んだ。まだ自分は運転がうまいつもりでいるのだ。
それというのも父が昔運送屋で働いていたということも関係している。
いわゆる長距離ドライバーというやつだ。その頃に一度も事故を起こさなかったというのが妙なプライドになっている。
とはいえそれはもう30年も前の話だ。
荒い運転がまかり通っていた歩行者が自己責任で身を守る時代はとっくに終わったのだ。
記憶違いによって道を間違えたり、間違えた後に頭に血が登ってか運転が急に荒くなったりととにかく助手席にいて恐怖しか感じなかったのだ。
その日もわたしが運転すると申し出たにも関わらず、「人を年寄り扱いするな。」「お前の運転より百倍安全だ。」などと偉そうに言っていた。
確かに運転に対する恐怖がないわけではないが、少なくとも事故を起こしたとしても人の命を奪うような運転はしていないつもりだ。
それとも自分さえ無事ならば人が死んでもいいと考えているのだろうか。
それくらいに横暴に感じられる運転だった。
だから意を決して免許の返納を申し出たのに、年寄り扱いされたのが気に障ったのか父はいまだかつてないほどの激昂を見せた。
わたしはただ、自分の父親が殺人犯にはなってもらいたくないという気持ちだけだったのに。
これまで健全に生きてきたのだから、残り少ない余生を犯罪者としてでなんて過ごしてほしくないだけなのだ。
幸いながらもらい事故だった。
それを聞いてわたしは頭に血が登った。
渋滞で止まっていたわけでもない。車は流れていたそうだ。
しかもあろうことか、実況見分を拒否してゴルフに言ったと言うではないか。
怒りも通り越してもはや目眩すら覚える気分だ。
翌日警察に呼び出されて、事故車に乗って父と警察にまで出向くことになった。
聞けば、追突してきた側の車ははじめから運転がおかしいと思っていたそうだ。
蛇行運転や急な加減速を繰り返していて、やり過ごして前に出てからしばらくして追突されたらしい。
それこそ昔の父であれば、それほど容易な危険予測ができていればとっくにそんな車は引き離して運転していたはずだ。
それなのに事故をもらったというなら、それが老いではなくて何を老いと言えばいいのか。
加害者が逃走中のためか、父はしきりに車の保険のことばかりを気にしている。
この期に及んで自分では修理代をびた一文払いたくないというのが顔に書いてあるかのようだ。
犯罪者にしたくないなどとつまらぬ心配をして、挙句に優しさを見せて車を貸したわたしが馬鹿だった。
これでわかった。
やはり高齢者の事故はそれを止めないでいた身内も共犯関係にあるということを。
でも生きている限りは、身内がそれを止めることが求められている義務だ。
高齢者は感情のみで動きます。 「若造風情の」「女風情が」「運転のプロである自分に」「知った風な」口出しをした事実に傷ついて逆ギレしてしまいます。 「父親を心配しているかど...
どっちかいうと元増田のほうが運転させるの怖いな。運転に向いているのは他人の不正義、不道徳、下手くそも受け流し、躱せるタイプなので。