家庭の事情で今は30過ぎて実家暮らししてるが10年くらい一人暮らしをしたことがある。
実家暮らしは問題だとは思わないけど確かに一人暮らしはした方がいいと思う。
ニッチ niche
いやね、制度的なバックアップがないのは別に同性愛だけじゃないの
例えば、結婚を当面考えない異性愛だって、社会的には何も保護されてないわけでしょ
その中で、高い蓋然性で子供が生まれる異性愛だけが、法律婚として社会的に保護されているわけだ
もちろん子供が生まれるとは限らないし、ハナから選択的に子なしだと制度としては想定外になっちゃうけど、
異性愛だけじゃなくて同性愛も認めろ、っていえば聞こえはいいけど、議論の前提としては正確じゃない
「人口の再生産に寄与しない残り全ての恋愛の中から、なぜか同性愛だけを特別に贔屓しろ」ってことなんだよ
そのことをよーく考えるべきだ
昔から物忘れが激しい。
そのために苦労も多い。
特に仕事に至っては、いろいろと迷惑をかけてしまう。また、場を読めない発言もしてしまう。
軽い発達障害が或るのかもしれない。
だましだましやってきたが、また転職を検討をするかもしれない。
39歳、どうやって生きていけば良いのだろうか。
久しぶりですわね。
鯖は足が速いでおなじみの、
痛みやすい魚ですの。
鯖の足の速さを封じ込めた鯖缶、
ご飯、玉子、鯖缶。
これだけですの。
鯖の旨味が存分に味わえますの。
チャレンジしてみてくださいませ
みんな、人を騙そうとしているようにみえる。
実際、口先でより金を出させようと誘導してくる。
詐欺師が獲物捕まえただけみたいになってる。
全然信用できない。
ほんと買い物がしんどい。
車とか、家とか到底無理。
いろんな掲示板とかで散々いわれてることだけど、
正直30過ぎて実家暮らしの人は、男でも女でもないなぁと思う。
厳密に言うと、30過ぎて実家暮らしで、何の問題もないと思ってることこそ、問題。
こういう話題が出ると、必ず「家にお金入れてるし、家事だって手伝ってるよ」と反論する輩がいるけど、
一人暮らしとの差を、単にお金と家事だけって思ってる時点で、もう痛いんだよな。
家賃だってただ払うだけじゃなくて、口座にお金を入れ忘れれば延滞金がかかる。
ゴミ出しの日に寝坊して、資源ごみがなかなか出せずに台所に山積みになる。
トイレットペーパーのストックを忘れて、夜中にコンビニに行く。
熱を出してフラフラの体で、でも何か食べなきゃと思って冷蔵庫を開けてもカラ。
こういう、一人暮らしを体験しないと分からない苦労を知ることが大事だと思う。
やむを得ない事情で実家で暮らしてる人も一定数いると思うけど。
そういう人は大体「この歳で実家暮らしって情けないけど」というスタンス。
間違っても「実家暮らしで何が悪い?」「一人暮らしはムダ」という言葉は出てこないんだよね。
あと、実家が通勤圏内で、一人暮らしのタイミングを逃した人もいると思うけど、
それでも「そろそろ自立した方がいいかな」って、30くらいから実家を出る人も多いよ。
逆にそう思えない人だけが、30過ぎても実家暮らしを続けてるわけで。
昼寝して飼い猫の夢を見た
夢の中では自分は海外赴任か留学中か何かで、旅先でも猫を飼っていて
「今飼ってるミケとトラも可愛いけど、そろそろ帰ってニャンスケと暮らしたいな~」
なんて言いながら長旅が終わるのを待っていたけど、目が覚めて思い出した
そうだ、ニャンスケはもう死んじゃったんだった
ミケとトラはニャンスケが死んでから飼い始めたんだった
ニャンスケとまた暮らすには、あと30年くらいは待たなきゃ駄目かなあ
色々金融資産は有るにせよ、年収250万円の男が女が振られるのは仕方無いだろう。節税目的なのだろうが、将来入院するとか子供を育てるといった物入りを考えると社会人の女が付き合う男としてはかなり寂しい金額だ。その彼女に新しい男が現れなくても振られていたかも知れない。
っ言う芸人昔いたなあ。
マイナスなイメージがあったりギャグの文脈で使われがちだったりする文言だけど、改めて考えるとひどく合理的で当たり前のことだと思う。
世の中そういう精神で回っていると思う。
東京大学総合図書館を、平成29年度の一年間閉館する計画が決定されたという。
新図書館の開館に合わせ旧図書館の改修工事を進めるという段階的な予定が、なぜか、いつのまにか前倒されたらしい。
人々が書き残した文章から過去の社会に迫る。そうした人文学を志す私にとって、何よりも思考の源泉となる場所がこの図書館であった。
一年間閉館という自己否定の暴挙を取ろうとするのは、畢竟、図書館や大学当局内ですら図書館の価値が共有されていないからだろう。
議論になるような大きなことを言うのは苦手なので、ここでは私が総合図書館の書庫をさまよった話を記したい。
ある日、昼食から総合図書館に戻った私は、三島由紀夫が「灯台のようだ」と表現した階段を4階まで登った。
進まない研究から目を背けようと手に取ったのは、『中島敦全集』第一巻(筑摩書房、1977年)。
「山月記」や「名人伝」といった誰もが知る短編を読むつもりだったが、「斗南先生」という作品が目に入った。
斗南先生とは、中島敦の伯父にあたる無名の漢詩人中島端のことである。
幼少より秀才の誉れ高く、「にもかゝはらず、一生、何らのまとまった仕事もせず、志を得ないで、世を罵り人を罵りながら死んで行つた」。
その遺稿集『斗南存稿』(文求堂書店、1932年)を帝大・一高の図書館に寄贈するよう、中島敦は親戚に頼まれる。
気質が似ているとも言われた伯父の晩年の姿を思い出し、躊躇しながらも、遺稿は郵便小包で寄贈することにした、という私記の体をとっている。
一通り読み終えた私は、寄贈されたというその遺稿を確かめに、がたがたのエレベーターで一階に下り書庫に分け入った。
私の歩みに合わせて明りの点く書庫を、請求記号を書きとめた紙をたよりにさまよう。
書庫のなかでもとりわけ人気のない、和装本の並ぶ一角でそれを見つけた。
中島敦が寄贈してから80年余が経つその本は、周りの本とともにわずかに埃っぽく並んでいた。
案に違い、他人が頻繁に開いたような跡も、ましてや書き込みもない。
それと知らねば目立つこともない一冊の本にも、一篇の物語がある。ろくに読めない漢詩に目を通しながら、そんなことを思った。
もし反対運動が実って来年度の閉館が撤回されたとしても、数年もすればあの暗い書庫をさまようことはできなくなる。
本を求めてさまよい、手にとって過去を思うといった行いは、ありふれていながら何と贅沢なものだったのだろうか。
知に触れる日々を、願わくは、私から奪わないで欲しい。