2016年11月27日の日記

2016-11-27

http://anond.hatelabo.jp/20161127174757

家庭の事情で今は30過ぎて実家暮らししてるが10年くらい一人暮らしをしたことがある。

実家暮らし問題だとは思わないけど確かに一人暮らしはした方がいいと思う。

確かに一人暮らしをしたことがない人たちは生活力ちょっと低い傾向がある。

ただ期間は1か月から長くて半年程度で十分だと思うし、別にそれで実家暮らしを見下すことはないけどね。

「本当に〜」とかい言い回しはつまるところ、「俺の思ってる、知ってる、使ってる定義と違う」的な思いが詰まっていて。

人間ニッチに収まるんじゃなくてニッチを拡大していく性質自然破壊も仕方ないと言えば仕方ない

ニッチ  niche

生態的地位などと訳す。ある生物特有生活形態に応じて占有する生息場所をいうこともあるが,

しろより包括的に,ある生物群集のなかでのその生物役割生態学位置づけを意味することが多い。

ぶっちゃけ同性婚って単なる利権獲得運動でしょ

いやね、制度的なバックアップがないのは別に同性愛だけじゃないの

例えば、結婚を当面考えない異性愛だって社会的には何も保護されてないわけでしょ

その中で、高い蓋然性子供が生まれ異性愛けが法律婚として社会的保護されているわけだ

もちろん子供が生まれるとは限らないし、ハナから選択的に子なしだと制度としては想定外なっちゃうけど、

まさか役所に子作り申請書なんか出すわけにいかないもんね

異性愛だけじゃなくて同性愛も認めろ、っていえば聞こえはいいけど、議論の前提としては正確じゃない

人口再生産に寄与しない残り全ての恋愛の中から、なぜか同性愛だけを特別に贔屓しろ」ってことなんだよ

そのことをよーく考えるべきだ

結婚自体は認めていいと思うけど、制度上のメリットまでよこせって言われるとねえ

今夜見る映画

セッション

ちょっとかわいいアイアンメイデン

どっちがいいと思う?

夕飯食べ終わるまでに教えてね!!!

Netflixで観れる他のオススメでもいいよ!!!!!

三谷幸喜は全部見たから言わないでね!!!!!

実写の映画にしてね! アニメの気分じゃないから!

物忘れが激しい

から物忘れが激しい。

そのために苦労も多い。

特に仕事に至っては、いろいろと迷惑をかけてしまう。また、場を読めない発言もしてしまう。

軽い発達障害が或るのかもしれない。

だましだましやってきたが、また転職検討をするかもしれない。

39歳、どうやって生きていけば良いのだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20161127181524

カフェインじゃなくてカルシウムか何かが足りてないんじゃね?

何かの欠乏症で満たされてないとかじゃ?

三十越えた男はどんな私服着たらいいんだ?

ほんとわからん大学生みたいな格好するわけにもいかんしさー

増田さんたちはどうしてるの?

やっぱ全身ユニクラーなの?

権力を持ったホモほど恐ろしいものはない

伊坂幸太郎おすすめある?

・オーデュボンの祈り

ゴールデンスランバー

・チルドレン

アヒルと鴨のコインペッペー

ギャング地球まわすやつ。

重力ピエロ

は読んだかな〜

[]

久しぶりですわね。

今日鯖缶チャーハン作りましたの。

鯖は足が速いでおなじみの、

痛みやすい魚ですの。

それを魔封波的に封じ込めた鯖缶を使ったチャーハンですのよ!

鯖の足の速さを封じ込めた鯖缶

賞味期限はほぼ無限

まるで人類の叡智、偉大ですわ!

調理簡単ですの。

ご飯、玉子、鯖缶

これだけですの。

私的(わたくしてき)なポイントとしては

鯖缶煮汁もそのまま使いたいですわね。

鯖の旨味が存分に味わえますの。

炒めてると水分が飛んでしまますから

最初ベタベタでも気にすることはありませんの。

チャレンジしてみてくださいませ

最近買い物が辛い

特に接客があるもの

服を買う時とか、スマホ契約とか。

人間相手にするのが嫌だ。

みんな、人を騙そうとしているようにみえる。

実際、口先でより金を出させようと誘導してくる。

接客は客を気持ちよくもてなすためのサービスじゃなくて、

詐欺師が獲物捕まえただけみたいになってる。

はいえ、通販レビューさくらばかりだし、

全然信用できない。

ほんと買い物がしんどい

リスク考えて、失敗してもいいような安いものしか買えない。

車とか、家とか到底無理。

いつから日本はこんな買い物が辛い国になったんだよ。

断言する。30過ぎて実家暮らしは、ない。

いろんな掲示板とかで散々いわれてることだけど、

正直30過ぎて実家暮らしの人は、男でも女でもないなぁと思う。

厳密に言うと、30過ぎて実家暮らしで、何の問題もないと思ってることこそ、問題

こういう話題が出ると、必ず「家にお金入れてるし、家事だって手伝ってるよ」と反論する輩がいるけど、

一人暮らしとの差を、単にお金家事だけって思ってる時点で、もう痛いんだよな。

家賃だってただ払うだけじゃなくて、口座にお金を入れ忘れれば延滞金がかかる。

ゴミ出しの日に寝坊して、資源ごみがなかなか出せずに台所に山積みになる。

忙しくて洗濯する暇がなくて、日曜に洗濯に何時間もかかる。

トイレットペーパーストックを忘れて、夜中にコンビニに行く。

昼間、家に誰もいないから、なかなか宅配便を受け取れない。

熱を出してフラフラの体で、でも何か食べなきゃと思って冷蔵庫を開けてもカラ。

別に一人暮らしが偉いってわけじゃないけど、

こういう、一人暮らし体験しないと分からない苦労を知ることが大事だと思う。

もちろん、親を養ってたり家族病気だったりで、

やむを得ない事情実家暮らしてる人も一定数いると思うけど。

そういう人は大体「この歳で実家暮らしって情けないけど」というスタンス

間違っても「実家暮らし何が悪い?」「一人暮らしはムダ」という言葉は出てこないんだよね。

あと、実家通勤圏内で、一人暮らしタイミングを逃した人もいると思うけど、

それでも「そろそろ自立した方がいいかな」って、30くらいか実家を出る人も多いよ。

逆にそう思えない人だけが、30過ぎても実家暮らしを続けてるわけで。

ま、人からどう思われてもよくて、自立も必要ないと思ってる人は、

どうぞ実家暮らしを続けてくださいな。

猫夢

昼寝して飼い猫の夢を見た

夢の中では自分海外赴任留学中か何かで、旅先でも猫を飼っていて

「今飼ってるミケとトラも可愛いけど、そろそろ帰ってニャンスケと暮らしたいな~」

なんて言いながら長旅が終わるのを待っていたけど、目が覚めて思い出した

そうだ、ニャンスケはもう死んじゃったんだった

ミケとトラはニャンスケが死んでから飼い始めたんだった

ニャンスケとまた暮らすには、あと30年くらいは待たなきゃ駄目かなあ

turimotonaoki

色々金融資産は有るにせよ、年収250万円の男が女が振られるのは仕方無いだろう。節税目的なのだろうが、将来入院するとか子供を育てるといった物入りを考えると社会人の女が付き合う男としてはかなり寂しい金額だ。その彼女に新しい男が現れなくても振られていたかも知れない。

 

http://anond.hatelabo.jp/20161126203842

http://anond.hatelabo.jp/20161127115704

治安悪くなるからできれば来ないでほしい

この人たちいるとオレらの給料も上がんねーし

かい事は気にすんな

っ言う芸人昔いたなあ。

マイナスイメージがあったりギャグ文脈で使われがちだったりする文言だけど、改めて考えるとひどく合理的で当たり前のことだと思う。

世の中そういう精神で回っていると思う。

東京大学総合図書館書庫をさまよう―中島敦「斗南先生」によせて―

東京大学総合図書館を、平成29年度の一年間閉館する計画が決定されたという。

図書館の開館に合わせ旧図書館改修工事を進めるという段階的な予定が、なぜか、いつのまにか前倒されたらしい。

人々が書き残した文章から過去社会に迫る。そうした人文学を志す私にとって、何よりも思考の源泉となる場所がこの図書館であった。

一年間閉館という自己否定暴挙を取ろうとするのは、畢竟、図書館大学当局内ですら図書館価値が共有されていないからだろう。

議論になるような大きなことを言うのは苦手なので、ここでは私が総合図書館書庫をさまよった話を記したい。

ある日、昼食から総合図書館に戻った私は、三島由紀夫が「灯台のようだ」と表現した階段を4階まで登った。

進まない研究から目を背けようと手に取ったのは、『中島敦全集第一巻(筑摩書房1977年)。

山月記」や「名人伝」といった誰もが知る短編を読むつもりだったが、「斗南先生」という作品が目に入った。

斗南先生とは、中島敦の伯父にあたる無名漢詩中島端のことである

幼少より秀才の誉れ高く、「にもかゝはらず、一生、何らのまとまった仕事もせず、志を得ないで、世を罵り人を罵りながら死んで行つた」。

その遺稿集『斗南存稿』(文求堂書店1932年)を帝大・一高の図書館に寄贈するよう、中島敦は親戚に頼まれる。

気質が似ているとも言われた伯父の晩年の姿を思い出し、躊躇しながらも、遺稿は郵便小包で寄贈することにした、という私記の体をとっている。

一通り読み終えた私は、寄贈されたというその遺稿を確かめに、がたがたのエレベーターで一階に下り書庫に分け入った。

私の歩みに合わせて明りの点く書庫を、請求記号を書きとめた紙をたよりにさまよう。

書庫のなかでもとりわけ人気のない、和装本の並ぶ一角でそれを見つけた。

中島敦が寄贈してから80年余が経つその本は、周りの本とともにわずかに埃っぽく並んでいた。

案に違い、他人が頻繁に開いたような跡も、ましてや書き込みもない。

それと知らねば目立つこともない一冊の本にも、一篇の物語がある。ろくに読めない漢詩に目を通しながら、そんなことを思った。

もし反対運動が実って来年度の閉館が撤回されたとしても、数年もすればあの暗い書庫をさまようことはできなくなる。

本を求めてさまよい、手にとって過去を思うといった行いは、ありふれていながら何と贅沢なものだったのだろうか。

知に触れる日々を、願わくは、私から奪わないで欲しい。

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