2016年11月21日の日記

2016-11-21

この世界の片隅に」を観て、眠れる狸が目を覚ました



この世界の片隅に

何となく評判が良さそうなのと、こうの史代原作だというのとで、

北海道じゃ知る限り今のとこ札幌の1つの映画館しかやってないけど、観に行ってきた。

もう言葉も出なかった。

帰り道の途中、あーでもないこーでもないと、頭の中で感想をひねり出そうと頑張ったんだけど、とにかく上手く表現できない。

ただただ、素晴らしい。この「素晴らしい」という言葉も何か陳腐ものに聞こえて、却って作品を貶めてしまってる気がする。そんな感じ。

もちろん、個々に素晴らしい要素を取り出すことはできる。

背景がとにかく綺麗で、建物や草花、人々の描写が緻密で、登場人物たちも何か温かな感じで、

物語も、すずさんという主人公を中心に、戦時中市井の人々の暮らしが丹念に描かれていて、

それでいて、あの時代、あの戦争というものに、いわゆる普通の人々がどう向き合っていたのかを考えさせられる。

さら自分が言わなくても、もういろんなところで考察感想があがっているから、これ以上言及する必要はないだろう。

それでもどうしてこの映画がこんなにも心を打ち抜いたのか、説明できない。

自分表現力が乏し過ぎるから上手いこと言えないだけなんだろうけども、何とか自分言葉感想を言いたいなぁ~と考えて考えて、

そこで思いついた!

そういえば自分の中で同じくらい心を打ち抜いた映画があったなぁ~と。

それと「この世界の片隅に」で、なにか共通するものがあるんじゃないかなぁ~と。

それは…「平成狸合戦ぽんぽこである

はぁ?「この世界の~」と「ぽんぽこ」を一緒にするんじゃねぇぞカス

とどちらのファンにも言われるかもしれないけど、言われても仕方ないんだけど、

少なくとも自分はこの映画を語るのに、「ぽんぽこ」という“触媒”が必要だった。

平成狸合戦ぽんぽこ」は高畑勲監督が手がけたご存知スタジオジブリ作品だ。

内容をごくごく簡単に言えば、ニュータウンの開発で自分達の住処を失う危機に面した狸たちが、必死の抵抗を試みて敗れる物語である

でもここに出てくる狸たちは、そんな深刻な事態なのにどこか暢気でズレていて、人間との「戦争中」だけど恋も遊びも楽しんでいる。

そしていよいよ追い詰められていく中で、ある者は徹底抗戦を唱え玉砕し、ある者は自分たちを受け入れてくれるこの世の楽園(そんなものはないのだが)を目指して旅立ち、

主人公を含むその他の者は、人間社会への同化を試みることを決意するのである

この作品、たくさんの風刺メッセージが込められていて、解釈も様々ある。

そして自分が感じたのは、「(それでも)生きていく」というものだった。

ニュータウンの開発。それはそこに暮らす狸たちにとって、自分たちを取り巻く環境価値観を一変させる脅威だったに違いない。

からこそ必死に抵抗するのだが、しかし圧倒的な力の差に敗れ去ってしまう。ただ、それでも―

主人公を含む一部狸たちは、人間社会の中で、人間価値観の中で、「(それでも)生きていく」ことを選んだ。

映画最後の方で、主人公はかつて豊かな森であったろうゴルフ場の片隅で、小さな宴会を楽しむ昔の仲間を発見し、再会を祝う。

その小さな幸せを楽しむ向こう側には、絶望的なほどに圧倒的支配者となった人間の暮らす街が広がっていた―。

なんだか救いがないように見えるけど、でも、不思議希望も持てるラストだと思った。

きっと狸たちは、もう今までの自分たち世界は取り戻せないけども、それでも新しい世界のどこか片隅に自分たちの居場所を見つけて、

しなやかにしたたかに生きていくだろうから

さて、「この世界の片隅に」はもちろん「ぽんぽこ」とは全然違うんだけど、

でも根っ子の部分で重なるんじゃないかなぁ~と、少なくとも個人的には感じた。

自分たちを取り巻く社会価値観環境が変化する中で、それに戸惑ったり抵抗したり適応したりしながら、それでも生きていくということは、人間普遍的テーマだと思うから

この映画はその普遍的テーマを直接言及するわけでなく、戦時中市井の人々の日常という形で描いてるものから

何か上手く捉えられず表現できないんだけど、心を深く揺さぶるんだと思う。

余談だけど、今まさにこの現代にこの映画が出たことは、タイミング的に奇跡なんじゃないかな。

というとオーバーだけど…でも、世の中が激変し過ぎて、正直自分不安を感じてるよ。

テロの多発、英国EU離脱トランプ大統領誕生等々…。あん政治的な話を持っていくとこじれるからこれ以上はやめとくけど、

いったいこれからどんな世界が訪れるんだろうか、全然からない。

からないんだけど、考えるのを止めて狸寝入りしちゃ駄目なんだろうな。

からないなりに現実と向き合って、「(それでも)生きて」いかなくちゃならない。

何だかやっぱり上手く言えないけど、そんなことをあらためて感じさせられた。

子供が出来るって素晴らしい

自分の大好きになった人と自分遺伝子をそれぞれ

引き継いだ存在って素晴らしくないか?

最初赤の他人同士なのにさ。

ロマンチックだな。

モテなさすぎて男が好きになった

忙しすぎて性格も荒っぽくなっちゃった

肌も汚くなって、全然女性モテなくなった。

最近、男が好きになってきてるんじゃないかと感じる。

寝る前に知り合いの男性のことを考えてウキウキ

しちゃったりして、なんかギュッって抱きしめたくなる。

まだ、肉体的なものには興味がないけど、男性に対する

感情が明らかに昔と違う。

人間って不思議な生き物だ。

http://anond.hatelabo.jp/20161121005232

経営立場からすると、あなた会社合意した金額給料にしてるだけなのだから

あなたから特に交渉を求められなければ、それで十分な金額を払っていると思うだけだよ。

あなた自分価値360万程度だと考えていたから、特に不満無く働いてきたわけでしょ?

カネを稼げない人間に生きる価値は無い

カネが無ければ食料は手に入れられないんだから

稼ぐことの出来ない

は食料を与えられる資格があるのか?

働かざる者食うべからずというけど

その通りじゃん。ノーワークノーペイの法則なんだから、働いていない者にはカネは与えられぬ。

カネの無い者は食べられる雑草でも探すか餓死するしかないんだよ。

NATM工法・補足1

http://anond.hatelabo.jp/20161120160732

から

「なぜ崩れた 福岡 大規模陥没」(時論公論

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/256756.html

からNATMはロックボルト重要なんだよ省略しないで。

博多陥没、それでもNATMで掘った理由

http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/atcl/cntnews/15/111300589/

軟質地盤や今回のように岩盤が浅く、上部層が過圧密な所では保持効果やアーチ形成効果を期待するので、縫い付けるという表現はあまり適切ではない。

しろ引き込んでいる。とくに地質交錯してるところなので地盤保持も併せて期待しているはず。

画鋲という表現はおそらく山岳トンネル適用時の説明で聞いたのではないか

http://anond.hatelabo.jp/20161121005453

俺はそう読んでるが。むしろ一般的な読み方について知りたい。

charをチャーと読むのは聞いた事あるけどvarcharバーチャーって読む人見たこと無い

イスラム圏でも出生率ゴリゴリ低下してるんだから、相当難題だと思われ。

どれだけ社会が便利になっても、新規が減ったら必ず弱体化して滅ぶ。

同僚の給料なんて知るもんじゃなかった

うちの会社って、毎年会社が働きっぷりを評価する仕組みなんだよね

で、それで1位取ったのよ、1位。部署レベルじゃなくて会社の中でぶっちぎりの一位ね

俺の給料360

自分より遥かに年上だけど同じ平のポジション給料→700万

自分の同期の給料→600万

別に今年だけ1位ってわけでなくって毎回こんな感じね

今まで給与交渉とか他の人が見てるのを他人事みたいに見てただけだけど、これ流石におかしくね?

黙ってれば安い給料で働くだろとか舐められてるの?

一応業界トップで知らない人はいないぐらいの会社なんだけど、世の中どうなってんの?

もう働くのが馬鹿馬鹿しいわ

やりたいことがないことは、正常だ。

「夢があるなら、なぜ命をかけないのか」

この言葉には同意しかない。だけれども、「命をかけたいほどの何かがない人」はどうしたら良いのだろうか。「命をかけたいほどの何か」が欲しくてたまらないのに、それを見つけることができない人はどうしたらいいのか。そんなことを悶々と考えながら生きてきた自分が、やっと自分の中の答えにたどり着いたので、そんな同士に向けて書く。

「夢」であったり「やりたいこと」であったり「成し遂げたいこと」の必要性を、僕らは教育の中で植えつけられてきた。教育だけでなく、僕らが目に触れる言葉の多くは、「何かを成し遂げた人の言葉」だったりする。それゆえに、「夢を持てない自分」に対して劣等感を抱くようになってしまう。「やりたいことがない」状態は異常なんじゃないかと感じてしまう。そして、「やりたいとがある彼ら」に対しての異常なまでの憧れが元で、その劣等感拍車がかかってしまう。そんな自分を変えたくて「自分探し」みたいなことをしてみても、偽りの夢しか見つからず、結果として何も変わらない。

そんなときに「彼ら」は、「夢を持つ必要性」を大事そうに教えてくれる。「夢に向かって努力すればいずれ夢は叶う」と。何かを成し遂げるためには、まずは「夢」を持たなくてはと。大きなお世話だ。そもそも、本心では何かを成し遂げたいと思ったことなどない。そのことを、「彼ら」が理解することはない。「彼ら」には何の悪気もない。「彼ら」の性質「夢」必要であって、それを達成することが生きがいだったから。そして、自分が感じる生きがいを、他の人が感じないわけがないと思っているから。

「何かを達成していくこと」に生きがいを感じる人と、その部分には何も感じない人がいる。この単純で明快な事実を、僕らは一度も教わったことがない。教育どころか、世の中全体として、その事実をひた隠そうとする。いや、隠しているのではない。「彼ら」の考えの中には、「何かを成し遂げたいと思わない」人など存在しないだけだ。隠していることに気付いてもいないだけだ。だからこそ、心に留めておいてほしい。「彼ら」の世界が全てではない。そこに気付くことができなければ、自分人生価値がないものと思ってしまうから

「やりたいことを成し遂げる」こと自体は、素晴らしいことだ。だけれども、人の生き方性質は、それだけではない。やりたいことなんてなくても正常だし、それでいい。そこに悩む必要はない。そんな人生にも意味がある。何かを成し遂げない楽しさも存在する。何も成し遂げられなくとも、何かをしている「過程自体楽しいという性質の人もいる。根本的に、「彼ら」とは違う人種なんだ。ただそれだけなんだ。やりたいとが何もなくても、劣ってるわけでもなんでもない。正常だ。「彼ら」が何を言おうが、耳を傾ける必要はない。ただ、人種が違うだけなんだ。そこだけは覚えていてほしい。

ただ、「やりたいことができたのならば、命をかけてやれ」。

http://anond.hatelabo.jp/20161120154302

一部界隈では、「君の名は。」を嫌いな人が糞映画と罵るために片隅を使い始めてる。

”尻カツレツ

約 14 件 (0.27 秒)

最近ノーパソデスクトップの性能差縮まってない?

ゲーミングノート見てみたら、結構いい感じのスペックだった

メーカーがパーツ自体の性能上げるの放棄して省電力重点にしてるから(せざるを得ないから)

ノートデスクトップの性能差縮まってる

昔はデスクトップと同じぐらいの値段のノートとかクソスペしかなかったのになあ

”金狼感謝の日”

約 3,890 件 (0.29 秒)


キンタロー感謝の日”

23 件 (0.37 秒)

予言するけど、日本は今後50年以内に一夫多妻制になるよ。

日本少子化を(一時的にでも)食い止める有効方法がこれしかいからね。

20年以内には議論が始まり、30年以内には法整備含めた具体的な検討が始まるだろう。

今後日本は貧富の格差が広がり、富の一極集中が起こる。

そうなればもはや一般家庭では子供を産み育てる事は現実的不可能になる。

本来ならここで国が動かなければならないんだけど今の日本ではもはや手遅れ。

そもそも票にならない若い世代子育て世代相手有効な手立てなどとれるはずもない、だってこの議論してる人たち全員子供何人も育てられるだけの富を持ってるからね。

この話以外もそうだけど金持ってる連中が自分の懐傷めないように勧める貧困対策なんて効果あるはずが無い。貧富の格差は今後確実に広がる。

独身税とか子育て費用無料とか金のかかることはできない、富める人たちの懐が痛むからね、問題解決に十分な額は絶対に出さない。

金かけずに済む「小中学校で性の授業を取り入れる」とか程度が関の山じゃないか

となると、富める人たちが得をして元々子育てをあきらめた人たちから文句が出ない唯一の回答が「一夫多妻」これだけ

まあ一夫多妻だけだと男女平等うんぬんって問題になるから一妻多夫も認めるだろうけど

結婚後の男女別姓あたりから入って家族の在り方を時代に合った形にとかって議論の段階を経て富める人が複数配偶者を持てる用に制度改正がなされる

議論する人も、法整備する人も、報道する人たちも、全員配偶者複数持てる富める人たちだからすんなり可決するでしょ

男は何人の女を嫁にできるかがステータスになり、女はいかに金持ちの男の第一夫人になるかがステータスになる

そういう時代が50年後には絶対来てる。

予言

Twitterから書籍がうまれることへの雑感

「o号室」というアカウントTwitter上での投稿書籍化されたことが話題になっていたのだが、その投稿をここにいくつか挙げてみると、「なんでもそうだけど 大切なものほど後で気付くから」「大切な人をもっと大切にしていきたい」「遠距離だろうと近距離だろうと 続く人は続いていく」等々、具体的なシチュエーションは一切書かれていないが、恋愛関係における格言めいた言葉ポエム調の文体で並んでいるものであった。

上の三つのうち、一つ目と二つ目恋愛関係でなくとも、家族や友人といった人間関係全般に当てはめることができるものである。それ以外の投稿もほぼこういった、o号室氏が日常で頭に浮かんだ「気づき」めいたものが並んでいる。先に具体的なシチュエーションが書かれていない、と書いたが、o号室氏の投稿から想定されるシチュエーションは「恋人ガソリンをかぶってライターを握り電話してきている」「親が数千万円の借金を完済した」といったものでは決してなく、「恋人と別れた」「同級生部活を辞めた」といった多くの人が経験として持っていてもおかしくないもので、さらにその「ありきたり」な事象に対する投稿の切り口自体も「ぼっちになったのでヤケクソで風俗四件ハシゴした」といったおかしものではなく、その投稿独自性といったものは皆無だ。しかし、突如投稿される「一生届かない好きもあるよ」という投稿は多いときでは三万リツイートされる。

このたびそれらのTwitter上での投稿書籍となったが、「いちいち言わなくてもいいことをツイートにしただけで書籍化かよ」といった感想もあるが、「共感した」「泣けた」などの感想が多く見られ、刷られた部数も六万部を突破したことから、支持している人たちが多くいることは間違いない(無名作家や物書きの書籍の部数など、初版では数千部程度である)。

出版業界を考えてみると、

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いま、酒を飲みながらなるべく感情を込めずに「0号室とかいうどうでもいいクソみたいなアカウントキモいツイート書籍にして印税でカネを得ることが気に入らない」という私の感想他人共感を持てるように書こうとしたけど、面倒になった。結局、彼もおれも共感が欲しいのだろうか。0号室氏のクソ書籍Twitterでのクソ投稿も「共感しました」という感想で語られている。小説でも映画でも、「主人公共感を得られない」ということから評価を下げる感想が多くある。「共感を得られる」ことで評価されていいのだろうか。独自視点自分の中になかったもの見方)を読者やお客さんに提示する、それがメディア存在意義ではなかったのだろうか。共感というものに対して目くじらを立てるつもりはなくても、さすがに0号室の書籍はねぇよ。途中からグビグビ酒飲んで書いたからぐちゃぐちゃだけど、ねぇわ。あんなもん読んで人生が変わるわけねぇ。毒にも薬にもならない。カス。同じカスでも、深爪とかの方がまだ芸はあるかもな。独自性があるから(で?という内容だけど)

http://anond.hatelabo.jp/20161120102800

別にその質問自体理系女子けが聞かれるなんて思ってないよ。

そりゃあ志望動機自体はどこだって聞かれるでしょう。ましてや就活で聞かれて怒る訳ないじゃない、ほとんどが選考のために必要質問なんだから。一体何を言ってるの?

私や増田が生きづらさを感じる「えーなんでそこに入ろうと思ったのー?☆」っていう問いかけには

みたいな見下しが入っているように見えてならないんだよね。他のトラバにも書かれてたけど、オタサーの姫なんて面と向かって言われることもあるしね。紅一点という言葉を知らない人なんだなと思って聞き流してるけど。

もちろん真意証明することなんて出来ないし、自意識過剰ってレスが来るだけなのもわかってるけど。

助産師保育士志望の男性とかだと同じような気持ちを味わってたりするのかなー。

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