理工系が強い某国立大学の文学部男子の場合、特に工学部同級生から同じこと何回も聞かれる
「何でそこ入ったの?」
「就職どうすんの?」
知るか!
廃寺になったとして誰が墓の管理すんの
太平洋戦争は、起こった事実を淡々と列挙してくだけで、当時の戦争指導部の無能さと愚劣さが露呈して「押しつけがましい反戦思想」になってしまうから、大変だよね(棒
http://anond.hatelabo.jp/20161029101838
前にこの増田書いたんだけどさ。
食べに行く店を探すとき、その辺の適当に目に入った店でいいのに、いちいち食べログを見て評価の高い店を探そうとしたり、ゲームを買うときにいちいちアマゾンで熱心にレビューを吟味して買うゲームを決めたりしている知り合いがいるんだけども、なんでそこまで評判を気にしたがるのか。腹が減ってるんだから、その辺の店でいいだろ、ゲームなんて好みの問題なんだから、パッケージ見て面白そうなのを決めたらいいだろ。
どうにも自分は誰かの評判で、行動を決めるってのがあんまり好きじゃなくてね。食べログなんかは何の店があるかということを調べるための用件か、食べ終わった後、暇つぶしに自分と同じ感想の人はいるか?という用件で見ることはあっても、評価を調べて行くことはあんまりない。実際のところ、食べた後でレビューを読んだら、自分と同じ感想の人もいるけど、そうじゃない感想の人もそこそこいるわけで。どう考えても、俺は不味いと感じるラーメンが絶賛されてたりもしたしな。
そもそもどこの誰かが書いたかわからない主観的な情報を、たまたまネットで見かけただけなのに、何でそこまで信用出来る情報にはなるんだ? 自分にはそこがどうにも理解できん。まだ雑誌の紹介記事の方が責任元がはっきりしているから俺は信用するぞ。それが外れだったら、その雑誌の責任にもできるしな。
あと、変に評判を見るとバイアスが掛かる。自分が旨いと思っても、不味い評価が下されてたら、本当は不味いんじゃないと変に疑いが掛けてしまうし、その逆も然り。
何も知らずにプレーンな状態で行動する方が、色々と楽しめると思うんだけどもね。