No.01 を書
No.02 な匿
No.03 ラック
No.04 記を
No.05 増田[ますだ]流行語[りゅうこうご]大賞[たいしょう]
No.07 ビス置き場です。
No.08 よしこ
No.09 パンツが見えなかったので星2つです、パンツが見えました/パンツが見えたので星三つです
No.14 アナルパーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーール!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
No.20
No.21
No.22
No.23
No.24
No.25
No.26
No.27
No.28
No.29
No.30
もし宮﨑駿がゴジラを作ったとしたら、「共生」がテーマになって、ゴジラの思いを汲む一人の少女と少女の思いを汲む少年がゴジラの思いを汲み、実は地底生物だった(?)ゴジラを活火山の火山口に誘い込んで、「ゴジラ、地底におかえり」と言ってゴジラを地底にかえすと思う。
多分クシャナのような人が「共生反対」、「自組織の利益最大化」の立場から、ゴジラを巨神兵のように操って自分に敵対する組織を壊そうとして、結果的に日本に大損害が及び、ゴジラが第三形態まで進化し、クシャナ自身が巻き込まれて自滅するみたいなストーリーになるだろうと思う。
使い分けるとパワハラができる
「おい、殺されても離すな、だろ?お前まだ生きてるのに離すのか?あ?」
死んだら
「レトリックだった」
結婚なんてうんちゃらかんちゃら、と書くと、どうしても結婚について焦点当てた議論になってしまうのだが。
40代独身、50代独身の身軽さと、結婚生活の両方を天秤にかけることなどできません。
特殊な恐怖症持ちの人いる? 有名所だとボタン恐怖症みたいなやつ。
どうやって周りの理解を得てる? それとも諦めてる?
自分は物心がついた頃からシールが異常に気持ち悪く感じている。母が言うには、生まれた頃に皮膚の病気があり、当時の治療法として薬が塗られた紙のようなものを顔中体中に貼っていてそれがトラウマになっているのでは、とのことだった。
シール、特にキャラもののシールや剥がし跡が気持ち悪くて極力触らないように生きている。けど、周りの理解が得られなくて辛い。
例えば、
幼稚園の頃、スープの器を各自選ぶ際にほとんどの器にキャラもののシールがベタベタに貼ってあり、なんとかきれいなものを探そうとしていたところ先生に「どれも一緒でしょ」と怒られ、一口も口をつけられずにいるとまた怒られる。この時に初めて「自分以外の人はシールが嫌ではない」とぼんやり気づく。
小学生の頃には自分の椅子に名前のシールを貼る(年度末には当然剥がす)という苦行があり、大量のティッシュ越しに作業するか人にやってもらっていた。何より辛かったのは、椅子の背もたれの裏に貼るもんだから授業中に常に視界に入っている状態であること。給食のときは机を向かい合わせていたのでなんとかなったが、給食といえば何故か人気のシール付きバナナやキウイはシールの付いていないものをなんとか手に入れるか食べられないからと受け取らなかった。
他にも細かい話では、有名なお寺の門?に大量に御札が貼ってあって通るときに朝食を戻す、友人の家に遊びに行ったら柱におびただしい量のビックリマンのシールが貼ってあってすぐに帰る、新品の食器を買うときは値札シールが貼ってない店等で買う、セブンのどこからでも切れるテープは指にまとわり付いたり細かい切れ端がテーブルに付いたりして稀に見る最低の発明だと思う(プラスチック的なテープは比較的嫌悪感が少ないが、それにしてもこれは酷いと思う)、など。
甘えるなと言われたことは何度もある。小・中学生の頃が多かったように思う。
親しいと思っていた知り合いに打ち明けるとフザケてわざわざシールを見せびらかしてくるやつがいる。割といる。こちらとしては全く冗談ではない話なのでその場ではやめろよーとか言いつつ以降そいつとは一定の距離を置くようになる。
なんだか書いているうちに腹が立ってきてあれこれ書いたら話がとっ散らかってしまった。
変な恐怖症を持っている人はどうしているのか教えて欲しいし、特にない人は理解までしなくてもいいからこういう人もいることを知って欲しい。
電通鬼十則にしてもそうだがレトリックが通用しなくなるのも怖いな。
「死んでも殺してでも」なんてのは、言うまでもなくレトリックだったはずだ。