2016-11-14

多摩での住職暴行事件から弱者救済の難しさについて考える

http://toyokeizai.net/articles/-/144985

東京多摩地域にある寺で、「体験修行」として預かっている中学生らに、住職暴行していた疑いなどがあるとして、児童相談所中学生らを保護していたことがわかった。

この事件についてインターネット上でもたくさんの反応があって、なかには「戸塚ヨットスクールと同じ案件か」なんて意見も見られたが、事実はどうだか良く分からない。

私がこの事件を見て感じたのは、人間人間を救済するということの難しさだ。

人間人間を救うことは不可能なのかもしれないと思ってしまった。

精神障害者としてサポートを受ける立場になってみて思ったこと。

私は精神障害者になってから福祉施設サポートを受け就労を目指しているのだが、

支援をする側の人間支援を受ける側の人間には、明らかに境界線があると感じる。

同じ人間ではない、そんな感覚

支援する側は当たり前のことを当たり前にやり遂げることを求められる生活の中生きている。

例えば9時-5時の勤務時間を守る。少しの体調不良くらいでは休まない。ノルマを達成する。仕事効率化を常に考える。

精神障害者からしたらかなりレベルの高いことを、当たり前のようにこなしている支援者

その支援者支援する人間は、これがほとんどできないわけである

朝決まった時間に起きられないので遅刻欠席は当たり前、体調がしょっちゅう悪くなる。のんびり生きているのでノルマとか効率化とか考える余裕のない人が多いと思う。(私もそうです。)

支援されていて思うのは、たまに支援者の人が精神障害者の人に対してイラついてるな、と感じることがあるということ。

そして、障害者側も健常者である支援者がそう感じるのは仕方がないとどこかで思っている。

昔はやったドラマ聖者の行進というえげつない内容のドラマがあった。

あのドラマ福祉施設経営者精神障害の子供たちを食い物にしていたぶるという鬼畜まりない内容なんだが、今も実際にそういう施設はたくさんあるんじゃないかと思う。

そもそも人間人間を救うなんて傲慢な話なんだ。

神様でも仏様でもない人間が広い心を持って自分が当たり前のようにやっていることをできない人間や、病気であることを理由に頑張らない人間に対して優しく接し続けるなんて難しいと思う。

一日も早く、弱者救済職業や役目をロボットが担う世の中になればいいと思う。

  • ドラえもん 肩書:特定意志薄弱児童監視指導員

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