おまえ来世が食用牛かもしれないのに、「誕生日は多来多来でA5牛三昧しよ」、ってよく言えたもんだね?
というのがいかに馬鹿馬鹿しいか分かる通り、立場可換性など弱者やそれに乗り移った者の呪詛に過ぎない。
立場可換性とやらが成立するのは、どちらの立場もほぼ等しく起こりうるときのみ。
そしてそれは、生物学的、社会的な平等が、科学と政治の力で実現されない限りあり得ないことだ。
そんな世の中が訪れるまでは、俺は弱者をいじめ続ける。
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