「これ書いている人よく見かけるね」
「へえー、歴史があるんだ」
「そのCMには『一日一善』というテーマがあってな、その精神を受け継いでほぼ毎日投稿しているんだろうな」
「ならなきゃ、やってないだろ」
「それもそっか」
「これもよく見かけるね」
「検索してみたが、『真夏の夜の淫夢』っていうのに関連している言葉のようだ」
「そっちだと全部カタカナのことが多いようだ」
「オリジナリティってやつだろう」
「出なきゃ、やってないだろ」
「それじゃあ、これからはこの記事のタイトルを『マスダと増田』にしてみたら人気出るかなあ」
「構わないが、お前が漢字の方やれよ」
「或いは、頭の『○○でやれ』の部分がオリジナルなのかもな」
「でも『クソ雑魚ナメクジ』も元ネタあるのに、それを使って『○○でやれ』っておかしくない?」
「そういうネタってことなんじゃないか。『真夏の夜の淫夢でやれ』っていうブーメランネタ」
「それで成立するの?」
「成立しなきゃ、やってないだろ」
件の人住所特定されたようで
今の世の中って、「バカ」がものを言うことが許されないんだよな。
おれは若い頃極左思想の「バカ」だったから、上の世代や政治に詳しい人間にリアルでボロクソに論破されて「転向」したり「反省」したりして、今でもまあ「バカ」なんだろうけど少しはマシになったかなという自覚はある。
ツイッターを見てると、そんな「バカ」が大人になる切っ掛けを許して貰えない。迂闊に思想信条を述べたら住所氏名を特定されて通っている学校や勤務先までバレて人生詰む、なんてことになるという怖さを感じる。
「バカ」が「大人」になる可能性を秘めた社会。つまり「バカ」に失敗を許す社会。
「バカ」が「大人」になる可能性のない社会。つまり「バカ」は「バカ」のまま殺される社会。
どっちに住みたい?
ほんと高能様は逆張りさえできれば論旨はなんでもいいんだなあ
ツイッターなんかを見てて気がついたんだけど、つらい、とか しんどい とかそういう端から見れば益体もない、似たような内容の愚痴を言うにしても、見てて面白いやつとくそつまらんやつがいるんだよな
平たく言えば今は地獄の中にいる状態。ITで言えばいわゆるデスマーチ。
事務所のパワープレイを笑顔で受け止め、配信会社の優柔不断をなんとか懐柔。
配信会社も、会社によって性格が全然違うのは、ちょっと興味深いかな。
共通しているのはどっちもテレビ的マナーは悪い意味で通用しないこと。
そうすると、掃き溜めのような制作会社の我々にすべての圧力がかかってくるわけで。
それを受け止めるのはまぁ、それなりに辛い役回りです。
比較的大きめのプロジェクトの立ち上げ、レギュラーの更新、新規の提案。
これを全部並行してやっていくと体力はもちろん、どちらかといえば精神が削られていくなぁ。