諸事情により実家に滞在している。10年以上振りに実家のご飯を食べたけど、まずい。
減塩と言い張るけど全く味のない味噌汁。お湯に雑草入れただけって感じ。
ほうれん草のおひたしは水切りをほとんどしてないから、ポン酢をかけてもほとんど味がしない。
塩味がついている状態でパックされている豚肉を焼いたやつに、はちみつとしょうがを刻んで混ぜた謎の自作調味料をこれでもかというほどかけてそのまま出す。肉の味も塩味も殆ど消えてて、はちみつをオカズにご飯を食うみたいな感じになる。
漬け物は浅漬けのもとをぶっかけただけ。出されたその日はほとんど味がしないし、翌日は味が異常に濃くて単体では食べられない。減塩は差し引きゼロ。
唯一まともに味のするものは冷凍のコロッケを揚げたやつ。それも焦げてる…
自炊してるときはメシマズネタ見ながらも、いくらなんでもそれはウソだろうと思っていたけど、案外ウソでもなかったんだな…と思って何故か無性に申し訳なく感じたりしている。
なんでこんなに不味くても平然としてるのか不思議でしょうがなかったが、
父親が2,3日に1回「いや~今日もおいしかったぁ~」などと白々しい事を言い、
そして母親もそれに対して「いえいえ、今日も大したものを出せずに…」などと相手をし、
それに更に父親が「いや、料理をしてくれるだけで有り難いんだ」とか言ってることに気づいた。
ここで負のフィードバックが働いてるんじゃないのか。行為とその質の評価が一緒になっているから、味に対してちゃんとした評価がされないし、今の状態を肯定されるもんだからメシマズは加速する。何故父親がそんな白々しい言葉をかけるのか、家庭円満を保つための策の一つなのか、本心で言っているのか、どっちかよくわからない。そして普段からコンビニご飯を口にしている母親は、その味と自分で作る料理の味との圧倒的な違いに何故気づかないのかもよく分からない。
そして、ここで生まれ育った私の舌もどこか最適化されているんじゃないのか、つまり自分の作ったものは自分じゃ気づかないだけで実はトンデモなくマズイのではないかという恐ろしい疑問が湧いてきた。ワキガみたいなもので、自分じゃ気づかないのではないか。人の作ったご飯のマズさがわかっても、自分が美味しいものを作れるとは限らない。おかしなものを食べていれば舌もおかしくなる。自分の舌の感覚を基準にして料理しているのだ、基準がおかしければ作るものもおかしくなるのは当然だろう。母親とは別ベクトルのマズイものを作っているだけじゃないのか。とても不安になる。
なににしても、もうここでご飯を食べることは無いだろう。おふくろの味なんてもののありがたさを、分かることがないまま一生を終えるのだろう。そして自分もその価値を伝えることが出来ないのかもしれないと思う。
目くそ鼻くそを笑う、お前も漏れなくメシマズだから安心しろ
うちの親も自分が子供のころは料理下手だった記憶があるが 大人になって久々に味噌汁を飲ませてもらったら美味くなっててびっくりした
似たような経験をしている。 実家に居た頃は、母の料理に文句なんてほとんど付けたことがなかった。 一人暮らしをするまでわからなかった。 正確には「料理のうまい彼女が出来て、...
早速自分が料理できないことが発覚してしまった… 二郎系のラーメン屋なんかだともやしなんて茹でただけのやつだしてるしと思って それが普通なんだろうと思って、袋ラーメンなんか...
念のため書いておくけど、 二郎系のもやしは、スープが濃い目でその口直しに食べるもやしだから、 敢えて味付けせずに茹でただけのものを載せているのね。