これができるためには、自分のことを熟知していなければだめだ。
自分と対話して、自分の感受性に耳を澄ませて、自分のそれが生み出すものを救い上げていかなければいけない。
一朝一夕でできることではない。自分は自分が思うほどかっこよくはない。自分が見たくない自分も含めて、観察を続ける努力の上に、
立派な言葉や知識をふんだんに使い話す人間がいるが、そこにその人個人の感受性から生まれた何かが入っていなければ、それは借り物の張りぼてのことばで、
そのような人と話すとき、まるで味気ない文書でも読んでいる気分になって、内心興ざめしてしまう。
そんなものは本を読めば知ることができるから、あなたの言葉を聞かせてほしい。
私が知りたいのはあなたの心の中身であって、頭の中身ではないのです。
(追記)
読み直すと自分もはてなで文章投稿している身だし、この文章だけだと上から目線だなと思ったので。
自分自身が上記で挙げたことが完璧にできているわけではない。ただ、言語で表現するうえで自分の指針、理想は持っていたいと思う。
また、ただ味気ない人の知識のひけらかしに興ざめするのではない。知識を得られることは私も楽しい。
でも、その人との会話において、知識「だけ」の会話になってしまうことが悲しい。
私はその人がどんなものに反応する人で、どんな人生を生きてきたかに興味があってコミュニケーションしたいのに、その人のパフォーマンスを見せられるだけになるのがむなしい。
最後の1行だけはあんたの言葉っぽく見えた。