2016-09-19

自己表現力への考察

自分のことを、自分言葉で話せる人間が好きだ。

これができるためには、自分のことを熟知していなければだめだ。

長所短所、好きなものや嫌いなものはもちろん、

自分対話して、自分感受性に耳を澄ませて、自分のそれが生み出すものを救い上げていかなければいけない。

一朝一夕でできることではない。自分自分が思うほどかっこよくはない。自分が見たくない自分も含めて、観察を続ける努力の上に、

自己表現力は成立する。

立派な言葉知識をふんだんに使い話す人間がいるが、そこにその人個人感受性からまれた何かが入っていなければ、それは借り物の張りぼてのことばで、

その人自身を語ってはいない。

そのような人と話すとき、まるで味気ない文書でも読んでいる気分になって、内心興ざめしてしまう。

そんなものは本を読めば知ることができるからあなた言葉を聞かせてほしい。

私が知りたいのはあなたの心の中身であって、頭の中身ではないのです。

(追記)

読み直すと自分はてな文章投稿している身だし、この文章だけだと上から目線だなと思ったので。

自分自身が上記で挙げたことが完璧にできているわけではない。ただ、言語表現するうえで自分の指針、理想は持っていたいと思う。

また、ただ味気ない人の知識のひけらかしに興ざめするのではない。知識を得られることは私も楽しい

でも、その人との会話において、知識「だけ」の会話になってしまうことが悲しい。

私はその人がどんなものに反応する人で、どんな人生を生きてきたかに興味があってコミュニケーションしたいのに、その人のパフォーマンスを見せられるだけになるのがむなしい。

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