要するにショベルカーに搭乗してゴジラに突っ込めって作戦を空母に特攻する以上にムチャクチャ作戦だと思わない?特攻じゃなくて特攻より酷いと勘違いしてる?
なんでみんな努力次第で何でもできる、みたいに思ってる節があるのか不思議でしょうがない
だってさ、世の中には必死に必死に努力して、それでも全く報われないって人が掃いて捨てるほどいるじゃん?成功者よりもずっとずっとさ
そういう人たちに努力が足りなかったね、なんて残酷なことを言える人たちはサイコパスかなんかなの?サイコパスだらけなの?
そりゃ努力は必要だし、すれば過去の自分と比べて上達もするよ?
だけど、人と比べてどうか、ってことになるとこれは全然別問題だよね
よく努力の才能、とかなんとか言うけどさ、これもなんか違う、というか…
ちょっとメジャーで、競争者が多いジャンルだったらさ、みんな死ぬ気でやるっしょ
人間に与えられた時間は等しく有限、1日は平等に24時間でさ、努力の総量でそんなに個人差が出るわけ無くない?
それなのにアウトプットに凄い差が出るってのはさ、やっぱり才能がすべてなんだよ
イチローより努力した人、なんて山のようにいるんだろうけど、イチローはただ一人だよね
まあ作家とかプロスポーツ選手みたいに競争相手が多くて、ほんのトップしか成功(生活)できない、って分野はそんなにないし、たとえばネジを回すだけ、みたいな才能も努力もクソもない分野でも一応食っていけるから大した問題にはならないけど、さ
http://item.rakuten.co.jp/kmmart/km04261/
とか
http://www.rakuten.ne.jp/gold/kmmart/category/mask/Horrormask.html
他人からの憐みで発せられただけの罵倒でもなんでもないような「クソ雑魚ナメクジ」で満足できるのか?
違うだろ?
パラリンピックを見ていて、いろいろと思うことがある
この人はどんな障害があるのか、どうしてその障害を持っているのか、使っている義足や車イスの形や仕組みはどうなっているのか
そういうことを思うたび、これは「差別」ではないのか、障害者である前にアスリートなのだからそういう目で見ずに普通にスポーツとして見るべきではないか、と
しかし、そもそもパラリンピックは障害者スポーツの最高峰で、いろいろな障害の人が出場している
その障害にも度合いがあり、その度合いによりクラス分けされている
そういうことを考えれば、どこに障害があるのかとか、どんな障害なのか気にするのは当たり前のことなのではないかとも思う
そしてパラリンピックの話になると、よく「パラリンピックは見世物ではないか」という話を聞く
見ていてそう思うこともある
しかし、それを言うならオリンピックも見世物ではないのか、スポーツそのものが見世物ではないのか、とも思う
ここにさほど大きな差を感じない
どれも感動的なことだし、どれもとても興味深くて面白い
難民の人が出ることが美談で、障害者が出ることがタブーになる理由は自分には分からない
自分では差別意識はあまりないと思っているのだが、パラリンピックを見ていて思うことがある
選手同士で揉めていたり、少し汚いプレーをしていたり、ドーピングが発覚したりするのを見て、とても変な気持ちになる
それは、どこかで障害者スポーツは綺麗なものというイメージがあるからだ
勝負よりも参加することに意義があるというイメージがある
しかし、出場している選手はただ純粋にスポーツをしているだけだ
オリンピックと同じ程度には汚いプレーもするだろう
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