2016-09-12


フォロワーフォロワーが死んだ。

不謹慎インターネットで遊ぶタイプの人だったようで、

ほかで見た追悼のpostも田舎ヤンキーの葬列のようだった。

俺たちあんなに馬鹿やったじゃねえか、

お前のことこれからも思い出してネタにしてやるからな、なんて。

twitterで近くて遠い他人自殺の話を聞くと不思議な気分になる。

インターネットアイコンパッケージで、

そこから紡ぎだされる世界ははふわふわお菓子

いつまでもいつまでも頬張っていたいけど、

中には人がいて、外側とは違って渋かったり酸っぱかったりもする。

自殺は、そのふわふわを剥いでもないのに突然に種が出てくるようなものだ。

ヒトひとりぶんの重さでもって現実を教えてくれる。

死にそうから連想ゲームで、最近見ない人の名前検索してみた。

フォローしてて結構好きだったひとだ。

うろ覚えIDスクリーンネーム検索したらいなかった。

フォローしてそうな人のフォロー欄を遡ってもいなかった。

検索ボックス名前を突っ込んでも、居るわけはなかった。

二次元キャラクターと同じ名前から検索しても沈むんだろう。

たぶん。

それか、私の探し方が悪い。

もしくは、これが一番しっくりくるけど、死んで垢消しした。

知らないうちに消えてく人は何も残してくれない。

感情が芽生える種もフワフワにくるんで持って行ってしまう。

それはそれで本人の望むところであるし、

名前を出すのは無粋だから何もできないのだけど。

それでも、寂しいという感情のかけらの重さくらいはあるみたいだった。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん