これはもう、純粋な回答になるんだけど、心理的作用には役に立っている。
「本は大事に保管するもの」と言う刻み込まれた心理があるんだけど、これを「データで保管してるから捨ててもOK」という風に自分に言い聞かせてる。
実際に読むかと言われれば、大半は読まないんじゃないかな。
せいぜい漫画くらい。
ストレス解消には役立っている。
かっこいいからではなく個性的だかちょっと心惹かれるっていう程度。
デザインについてはみんな我慢することを幼い時から教育されてるんだと思う。
車に限らずデザイン「も」売りにしてる製品なんてほとんど無くて、どれも耐久性や利便性やコスパだけ。
デザインについてはみんなあえて喋らないし、買う方もあえて聞かない風潮。
そういう不自然さっていずれ解消されていくんかな。
半分は、自分で招き入れた苦境ではあるけれども。
どうしたらいいのかな。
1年間、ブランクがある40代の中途採用、異業種へなんて、難しいよな。
実績もヨソで使えるかどうかも分からんようなことやし。
資格もないし。
はい、ニャン!グリット。やり抜く力!
花丸ちゃん、東京へ行ったら「ずら」は使わない方がいいずら
好きなところ嫌いなところについて語りあう流れになったならよかったんだ。
「自分は面白かった」というのを表明したら「俺はだいっきらいだ。あんなのを好きな人間はどうかしているw」という風に、嘲笑交じりの人格否定にシフトされて、話がこじれた。
そこで会話を続けようとしなかった点は自分が悪かった。
で、お前は1、2時間くらい遅刻されても一切気にならないタイプなんだろ?
こんなフザケタことを書けるのはそれが最低ラインだしな
ネットでは叩いたり嫌ったりする声が目立ちがちだけど、
横だが、もっとも過ぎてウケた。
瀕死のキスショットを阿良々木さんが助けて、吸血鬼にされてしまうのが1話。
瀕死のキスショットは手足をもがれていて、それを取り戻すために阿良々木さんがバトルするのが今回の2話。
自分はすごく面白かったんだが、「面白かったね~」って言ってたら「あーーww俺あの映画だいっきらいだわwww」とわざわざ口出ししてくるひとが居て、好きな映画だったはずなのにもうそれで色々と萎えて、楽しかった思い出が全部ぶっ飛んでしまった。もうあんまり思い出したくない。
すごく悲しかった。
まあ自分で気付いていないだけで、同じようなことをわたしもきっとこれまで繰り返してきたんだろう。対人コミュニケーションとは傷付き傷付けられることだし、多くの場合勝手に傷付けられる方が悪い。繊細ヤクザという言葉もあるし、そうならないよう、自分ももっと愚鈍であらねばならない。そう思って溜飲を下げようとしている。
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本当はその楽しかった思い出を、向こう半年くらいは反芻しながら生きていくつもりだったのに。今はその作品について思い出そうとすると、あのときの場の変な空気とか、自分の子供っぽい激情とか、数刻後にどっと押し寄せた疲れと悲しみが思い出されるので、後悔しかない。↑のひとに対して多少ムムときたのは否定しないが、自分への怒りと後悔の方がそれに勝る。自分がもっと他人の価値観を尊重したうえでコミュニケートできるような人間であれば何も問題はなかった。
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羽川さんのたわわな胸を鑑賞するアニメだとばかり思ってたわ。