常々政治的言説において「右」と「左」という区分をいかにも対置概念のようにしてレッテル貼る場合があるが、その区分がずっとピンと来なかった。何をもってそう区分するのか?人によってその感覚は異なるのだろうけども、本当は対置される区分じゃないような気がしてむずむずしていた。
そこでいろんな政治的言説に触れるにあたり、どうせ区分するんなら、こんな区分ができるんじゃないのかな?という思い付きが出てきた。
------「内向き志向(国の問題の根源を内部に求めるという意味で)」と「外向き志向(国の問題の根源を外部に求めるという意味で)」------
・「内向き志向」というのは、その考えの背景に「自国を取り巻く環境はさほど以前より変化しておらず、国内の変化は、国内の利害関係者の隠された利益による意図によって起こされている」という思いがある。企業で言えば「その施策って市場の要望によるもんじゃなくて、特定の派閥のパワーを拡大させるためにすぎないでしょ?そんなことしたら多数の社員のやる気がなくなって外に人材が流出しちゃうよ?」みたいな。
・「外向き志向」というのは、その考えの背景に「自国を取り巻く環境は常に流動的で急速に変化しており、それに対応していくためには、場合によっては国内の既得権益(国民のも)を制限・縮小することがあってもやむなし」という思いがある。企業で言えば「市場はどんどん変化してるんだから、社員がこれまで築いてきた努力なんか無視して、見込みのないものは切り捨ててスクラップアンドビルドで対応していくしかないよね?でないとつぶれてまうで」みたいな。
おそらく現実はどちらに偏ってもまずくて、バランスをとって考えないといけないのだろうけども。
また、一人の人間の様態には「分裂気質(アンテ・フェストゥム(未来先取り的))」と「躁鬱気質(ポスト・フェストゥム(過去を重視する))」の要素が両方ともあって、そのバランスの中で現実と折り合って生きているのだが、どちらの要素がより濃いかの相違は個人によってあるという話があるが、それとも関係あったりして。