2016-08-20

キーボード貧乏女子高生の件

何かのテーマに対して、過度の演出で同情を誘うやり方が批判されてるんだよ。

感動ポルノ」という言葉は好きじゃないけど、

これなんて、視聴者のそういう志向に乗っかってやれって魂胆でしょ?

キーボードの前にテキスト立てて、PCの真似事。

ファミコンを買ってもらえなかったおいらが段ボール箱と蒲鉾板でゲーム機作って気を紛らせてたことを思い出したわけだけど、

そういうインパクトのある絵が欲しかったんだよね?これ。

(そして、インパクトがあったからこそこうして話題になってるわけだけど)


金がない、というのはきっとそうなのだろう。

進学に必要現金がないということも、そうなった経緯はともかく、事実はまあ、そうなのかもしれない。

相対的貧困だとか貧乏人は趣味から逃げられないとか、それはそれで背景としてあるのだろうけど、

もっとガチガチに、所得の使い道に選択肢なんてない貧困家庭差し置いて、

この家庭をもってこれこそ「貧困」だ!ってやることが問題提起として本当に正しいの?

情報格差」を貧困の原因とするコメントも多いけど、

趣味に関しての情報はしっかり集めてそれを楽しんでいるわけで、

パソコンいくらで売ってるかなんて情報はその気になれば簡単に手に入る。

そして、選択さえすればちゃんと買うこともできる。

仮にそこに同情できることがあるとすれば「経済的観念に欠けていることの哀れ」くらい。

でもそれって、社会構造的な不具合が生んだ貧困家庭なの?

この人たちに必要なのは金銭的な支援ではなくて、マトモな経済的観念ではないの?

この事例をも社会問題としての貧困だというのなら、趣味生活バランスを欠いてりゃいいわけで、

フェラーリ乗り回してたら金がなくて…」なんてのも社会が支えなきゃなの?


この件のあちこちで「貧困ビジネス」なんて言葉が出てきてるけど、これが一番問題だと思っていて。

本当に支援必要な、ガチガチ貧困家庭さえ、この件のせいで変な色メガネで見られ、

社会的に(=近所の評判的に、あるいは当事者自身が抱く支援は恥みたいな意識で)

必要支援が受けにくくなるのが一番最悪。


あの演出番組側が仕掛けたのか家庭の側が見せたのかは知らないけど、

母子家庭貧困」を問題提起する事例としては、やはりこの家庭はふさわしくなかった。

  • そういう事情をあらかた了解した上で それでも尚、彼女を押したい思惑が存在して そうした作為を感じ取ってみな反発しているのだと思う。 近年のマスコミ発の炎上はこういう構造が...

  • http://anond.hatelabo.jp/20160820114932 趣味に逃げてしまうのも貧困の実像のひとつなら 「パソコンがいくらで売ってるかなんて情報はその気になれば簡単に手に入る。」けど探さないのも貧困が...

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