2016-08-18

むき出しの競争心が嫌でオタクにもなれなかった

からアニメゲーム音楽も好きだ。

コミュ障で人付き合いはいい方ではない。

かと言ってオタクというわけでもない、彼らからすればいわゆる普通人間だ。

なりそこねてしまったのだ。

中学生くらいの頃は人に負けないこだわりがあった。

別にそれを人にひけらかすつもりもないし、そもそも一人で楽しむのが好きだったのだ。

それなのに、ただ何が面白いかを自分なりに説明しているだけなのに、頼んでもないのに勝ち負けに持ち込もうとする奴が必ずいた。

オタク特有の、自分のほうがオタクだというプライド押し付けてくるのだ。

自分にしてみればそんなことはどうでもよかった。好きなものを好きでいれば、自分なりの解釈自分なりに楽しんでいればよかったのだ。

それなのにそいつは違かった。自分解釈のほうが優れていると無理矢理押し付けてきたり、とにかく自分が好きなものに対する知識愛情が人に負けるのを嫌うのだ。

自分はそれが心の底から嫌だった。それが原因で嫌いになってしま作品も沢山あった。

それからはできるだけこっそり楽しむようになり、作品に対しての交流も減っていったことで自然とその世界からは足が遠のいてしまった。

そいつは40を過ぎたいまでもオタクをしている。その世界ではそれなりに名前をも通っているらしい。ただ、たまにあって話をするが、相変わらず自分知識愛情に異様なまでのプライドを持っていて、ちょっとでもコンテンツ話題を出すだけで湯水のように自己顕示欲を垂れ流していた。

嗚呼そうか。こういう根拠もないのに自分が優れていると勘違いできて、誰かれ構わず競争心をむき出しにできる人間オタクとしての素養があるのか。

そう考えると自分は人との競争が嫌いで、何事も競争となるようなものは避けて生きてきた。

おかげで周囲は平和だが、大して面白いこともない至って普通人生を過ごしている。

庵野島本のやりとりを、すごいと思いながらどこかで小馬鹿にしている自分がいた。

テレビの中では闘争心をむき出しにしてトップアスリートたちが記録を競い合っている。

からでも彼らのように競争心をむき出しにして何かに熱くなることはできるのだろうか。

それがあまりにくだらないことだと思ってしまう時点で、自分には無理なのだろう。

なりたくない人間にならなかったのだから良しとするべきか、今の自分が本当になりたかった人間になれていないことを省みるべきか。

考えるにはもう遅い年齢になってしまったのかもしれない。

ただ、やっぱりあん人間になるくらいなら死んだほうがましだ。それだけははっきりと言っておこう。

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