かと言ってオタクというわけでもない、彼らからすればいわゆる普通の人間だ。
なりそこねてしまったのだ。
中学生くらいの頃は人に負けないこだわりがあった。
別にそれを人にひけらかすつもりもないし、そもそも一人で楽しむのが好きだったのだ。
それなのに、ただ何が面白いかを自分なりに説明しているだけなのに、頼んでもないのに勝ち負けに持ち込もうとする奴が必ずいた。
オタク特有の、自分のほうがオタクだというプライドを押し付けてくるのだ。
自分にしてみればそんなことはどうでもよかった。好きなものを好きでいれば、自分なりの解釈で自分なりに楽しんでいればよかったのだ。
それなのにそいつは違かった。自分の解釈のほうが優れていると無理矢理押し付けてきたり、とにかく自分が好きなものに対する知識や愛情が人に負けるのを嫌うのだ。
自分はそれが心の底から嫌だった。それが原因で嫌いになってしまう作品も沢山あった。
それからはできるだけこっそり楽しむようになり、作品に対しての交流も減っていったことで自然とその世界からは足が遠のいてしまった。
そいつは40を過ぎたいまでもオタクをしている。その世界ではそれなりに名前をも通っているらしい。ただ、たまにあって話をするが、相変わらず自分の知識や愛情に異様なまでのプライドを持っていて、ちょっとでもコンテンツの話題を出すだけで湯水のように自己顕示欲を垂れ流していた。
嗚呼そうか。こういう根拠もないのに自分が優れていると勘違いできて、誰かれ構わず競争心をむき出しにできる人間にオタクとしての素養があるのか。
そう考えると自分は人との競争が嫌いで、何事も競争となるようなものは避けて生きてきた。
おかげで周囲は平和だが、大して面白いこともない至って普通の人生を過ごしている。
庵野と島本のやりとりを、すごいと思いながらどこかで小馬鹿にしている自分がいた。
テレビの中では闘争心をむき出しにしてトップアスリートたちが記録を競い合っている。
今からでも彼らのように競争心をむき出しにして何かに熱くなることはできるのだろうか。
それがあまりにくだらないことだと思ってしまう時点で、自分には無理なのだろう。
なりたくない人間にならなかったのだから良しとするべきか、今の自分が本当になりたかった人間になれていないことを省みるべきか。
考えるにはもう遅い年齢になってしまったのかもしれない。
増田も気づいてるんだろうが「オタクは競争するもの」という前提がおかしい。増田が出会ってきたオタクの人格に問題があっただけ。 好きな作品があるならひっそりと楽しめばよい。...
ごめん。ありがとう。でも、書きたいこと忘れてて書き足してしまった。トラバの意味が変わっちゃったかもしれないからそれは僕のせいだと弁解しておきます。
何てこたぁねぇ。オタク云々言ってるが要は競争社会で敗北した男の話じゃねぇか。 こんなもん、①これから戦うか、②共産主義・キリスト教に走って競争社会自体を捨て去るかのどっ...
あえて勝ち負けで言うなら増田の「アニメもゲームも音楽も好き」という気持ちが周囲の雑音に負けたってことじゃね 増田の言うオタク特有の性質ってやつは各業界にいる一部の「アレ...
好きなものを無邪気に好きといえる人が一番の勝ち組。
http://anond.hatelabo.jp/20160818101214
今日はいなかったんだ
何かを生み出すわけじゃない評論するだけのオタクの中にも尊敬出来る人はいるよ。 みうらじゅんや町山智浩にだって信者はいるだろ。 http://anond.hatelabo.jp/20160818101214
評論だって生産の内だろう。 優れた評論はそれで別個の作品として成立するぞ。 その二人が優れているかどうかは別として。
オタク三大本質に染まれる者だけがオタクだからな それ以外はせいぜいマウントされる餌程度がお似合いってこと