こんなことを書くと頭がおかしいと思われるが、事実そうなのかもしれない。
夏が来るたびに、わたしはもう一度広島に原爆が落ちたらなーという妄想にかられる。
伊勢神宮の遷宮のように、80年とか100年に1回、
繰り返し繰り返し広島に原爆が落ちることになっているとしたら、
それは原爆を忘れないためには、人類にとって必要なことじゃないかと思うようになってきた。
住んでいる人にはたまらなく辛いと思うが、想像しているわたしも辛い。
なんとか、落とせないものか。
Permalink | 記事への反応(1) | 13:11
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アドラー「フィクションの中で原爆投下なりをやって昇華させてみるといいぞクソ雑魚ナメクジ。庵野君も小松君もやったんだから、増田にも出来るだろ?」