小学校のときに好きだった人は友達のお母さんだし、中学校の時は先生、高校生の時は友達のお姉さんだった。
社会人になってはじめてお付き合いした女性は職場の6つ上の先輩だった。
その後、同じ齢の女性に告白されて付き合ったこともあった。ただそれは長く続かなかったし、なんというかつまらなかった。
振り返ればそこそこ特殊だった家庭環境が原因だと思うが、性別に限らず自分と同じかそれより下の人間とは基本的に話が合わなかった。
感情的であり衝動的であり、短絡的な相手と話をするのが辛かったのだ。
35歳の時にお見合いで結婚をした。相手は自分より2つ上だ。すぐに意気投合して、トントン拍子に話が進んだ。
駆けこむように2人の子供が生まれ、あっというまに40歳になった。
妻は育児に疲弊して、気づくと愚痴ばかりをこぼしてくるようになった。
結婚した時は理知的で好奇心と実生活とが高い次元でバランスが取られていたのに、今は生活の消化と過去を懐かしむ毎日を送っている。
少なくともそれは、私の好きな年上女性像とは遠くかけ離れていた。
そう考えて周囲を見回すと、自分にとっての年上女性は大半が同じような生活を送っていることが分かった。
今まで自分は、年上女性は自分よりも人生経験が豊かで落ち着きがあり、自分の現実主義的過ぎるところを理解してくれるから好きなのだと思っていた。
しかし、今の自分より年上の女性は、言ってみれば超現実主義といえるほど、未来を諦めてしまっているのだ。
それは、最近では自分より年下の女性を好む傾向にある自分が理解できないでいたことだ。
そうはいっても20代のようなエネルギーに溢れる若さを求めているわけではない。
男性はよく、女性が若ければいいという批判を受けることがある。
それについては昔から懐疑的だったが、今ならばはっきりノーだということができる。
わたしは、年下の女性が好きなわけでも年上の女性が好きなわけでもなかったのだ。
ちょうど30歳前後に現れる、落ち着きや好奇心のバランスが取れた女性が好きだったのだ。
年上好きと思い込んでいたのが誤解だったことは驚きだったかが、年下好きという下卑たレッテルを貼られることを回避できたことは何よりだった。