2016-06-01

Outcome versus Opportunity

 カルキュレーションというソリティアがある。解説本にあった「プロの成功率は7割」の文句に引かれ、小学生の頃このトランプ遊びに一年ほど費やした。毎日飽きもせず部屋の片隅で憑かれたように並べ、級友らが夏の旅行だ、クリスマスだと喧しい中、テレビの雑音の中、程なくほぼ100%の成功率を達成することができた。自分なりにハンデをつけ、四つある置き場(待機場所)を一つ減らしたり、手札の最初の数枚を細工せずただ順番に置き場に並べたりした。二段三段(8~16枚)のハンデでは問題なかったが、四段五段重ねるともはや技量ではなく手札勝負の運任せになることが判明し、熱が冷めそれきりやらなくなった。当時の新聞に貧困家庭の特集記事が載っていた。家屋が狭く押し入れで就寝する女子高生の実態を嘆く記事に、僕の夢じゃないか、押し入れで眠ったり、本を読んだりできるなんて羨ましいと考える風呂なし6畳一間ギスギス暮らしの少年に、スタートで勝敗が決するゲーム、堅牢に定まった運命に抗う闘争を続ける気力はなかった。

 彼らは「結果の平等」だという。彼らが推す「機会の平等」とは、公の避難所を取りあげ、あらかじめ20枚のカードが積まれたゲームへの参加資格を請け合うことだ。

 EqualityとEquityの絵(http://buzzap.jp/news/20141111-equity-vs-equality/)に、昔を思い出して書いてみた。瘡蓋にもなっていないから当時を振り返る作業は辛くなかったが、カルキュレーションに数十年ぶりに挑戦するきっかけとなり、成功率が三割満たないという結果を出した。これからどれほど回数をこなそうが、あの頃の域には到達できないのだなと思うととても悲しい。

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