神話を失ってないひとについて、書き直すことを試みる。
正しい言葉を探すことで、正しい価値を見つけることはできない。
完璧な文章なんて存在しない。しかし、完璧な増田は存在する。
そして、昼下がりのパスタを茹でながらリライトされた増田は、
紛れも無く前者だ。
やれやれ。僕は射精した。
神話、マイナスの自尊心、あるいは自己肯定的な思い込みと言い換えてもいい。
おおよそ世の中では、この「神話」に沿って生きる人間が多数派を占めている。
神話といわれても、すぐにはピンと来ないかもしれない。
彼らは日曜日にあなたの部屋を訪ねてくることも無ければ、駅の広場でビラを配っているわけでもないからだ。
しかし、僕に言わせれば彼らはこの街のありとあらゆる場所で生きている。
彼(と仮に呼ぶ)はとても清潔に生きている。健康的で、自信に満ち溢れている。
彼の神話はその生活の細部に宿っている。朝から晩まで、何も変わらない。
毎朝、彼はすっきり目覚める。
彼の意識は、この世界に戻ってくると同時に、自身のミッションステートメントを暗唱する。
寝起きに時計をいちいち確認したりはしない。睡眠時間は彼らが意図したとおりにマネジメントされていて、それは時計によって承認されるものではないからだ。
彼はベッドから起き上がる。その目は完璧に覚醒されている。
僕はその眼を見るたびに、ゴール前のフットボール選手を連想してしまう。とても3秒前まで意識が無かったとは思えない。
彼は身支度を始める。
洗面所の鏡に、彼の顔が写る。その姿は昨日の夜と何一つ変わらない
穏やかな睡眠は、彼の外見を乱すことはない。
よだれや目やになんて、もちろん付いて無い。
髪の毛は生命力に溢れている。抜け毛もフケも、寝癖すらもない。
区役所の土木計画課は、彼の髪の毛を初夏の河川敷に植えることだってできるはずだ。
唯一、ヒゲだけがきっちり8時間分伸びている(彼は寝る前にもヒゲを剃るのだ。)
もっとも、そのヒゲに合った言葉を僕が探している間に、彼らそれをスマートに剃ってしまう。
その髭剃りに哲学は存在しない。
それから彼はダイニングルームに向かい、質素な朝食を摂る。
炭水化物を控えめに、良質のたんぱく質と野菜を組み合わせたなメニューだ。
食べながらiPadで日本経済新聞の電子版と、BCC newsを斜め読みする。
彼の口と脳はそれらを丁寧に咀嚼する。効率が良く、無駄が無い。マルチタスクという単語を辞書に加えるなら、彼の朝食風景を図例に用いればいい。
もちろん、(彼の人生を叙述すると「もちろん」は多用せざるを得ない)彼だってトイレに行く。
彼の便通はパーフェクトだ。言うまでもない。
こうして彼は今日も街に出ていく。
パリっとした白いシャツもスーツも彼の体格に合わせて作られている。
いつだって泥ひとつついてないブランド物の靴を履いて、大地を強く踏みしめ歩いている。
彼が通り過ぎたあとには、オー・デ・コロンが爽やかに香り、彼の一挙手一投足が新たな付加価値を生んでいく
ランチの後には短く深い瞑想をして、一日のタスクが終わったあとはジムで全身の筋肉のひとつひとつの使い方を復習する。
タバコは吸わない。輸入ビールとワインを除けば、アルコールもほとんど摂らない。
(ヒゲを剃り)ベッドに入ったあと、彼はミッションステートメントを暗唱する。
そして、深く穏やかな眠りにつく。
僕が言いたいことはこうだ。
つまり、神話というのは、「自分には、この世界がその存在を認めるに足る価値がある」と信じる世界観である。
自分自身の根拠や裏づけになるものだ。
付加価値のボリュームとそのサステナビリティを持って生き続けることだ。
そして、繰り返すようだけれど、彼らは多数派なのだ。
もちろん、この「神話」というのは僕の歪んだ世界の認識、(あるいは自己認識の歪んだ投影)であって、僕の偏見と言ってしまえばそれでおしまいなわけだけど。
でも、僕にはどうしてもこういう考え方が頭にこびりついて離れないのだ。
僕もかつては「神話」の世界で生きていた。多くの人がそうであるように、僕は喪失を通じてそのことを知った。
当時の僕は15歳のティーンエイジャーで、自分の頭の中には表現されるるに足る「何か」が詰まっていると本気で信じていた。
来る日も来る日も阿呆みたいに文章やら文芸作品を書き殴っていた。言葉を尽くしても、
決して語りきれない、丈長で単調で冗長な物語だ。
短編が長編に絡んだ新たな短編を生み、その短編に対立する長編がより大きな長編の序章となった。
そして、あるとき、僕は自分が神話を喪失していることに気がついた。
肥大した自意識を物語にすり変えることと、「神話」の喪失がリンクしているかは分からない。
今の僕には自分が失った「神話」の序章ら思い出すことができない。
コンサート会場で熟睡していた気分だった。
目を覚ますと、ストリングスの最後の一音が客席に吸い込まれ、静寂だけが残っていた。拍手をしようにも、自分がどんな演奏を聞いていたのかさっぱり思い出せなかった。
やれやれ。これも的外れだ。そもそも、僕はコンサート会場にいるわけでもなかった。
気づいたとき僕は、白紙の原稿用紙の前に座り、よくとがった鉛筆を右手に持っていた。
意識が白濁し、液体状になって部屋のあちこちにこびりついていた。
どれだけ擦っても、僕にそれを取り除くことはできなかった。
その頃の僕がまともに恋愛できなかったことも、今思い起こせば当たり前の話だった。
誰かと物語を共有することを恋愛と呼ぶならば、僕から相手に差し出せるものは何もなかった。
弁明させてもらえるなら、僕だっていっぱいいっぱいだったのだ。
彼女たちが僕に物語を求めるとき、僕は敬虔な信仰者を演じることに努めた。
あるときは借り物の神話を用いた。あるときは、古い時代の物語の断片をパラフレーズして語った。
彼女たちは彼女たちなりに、僕の語る紛い物を受け止めようとした。
僕はゆっくりと時間をかけて勃起して、彼女達の中に深く射精した。
しかし、それはもはや恋愛ではなかった。
彼女たちが去った後、僕の手にこびりついていたものは、
彼女たちに合わせて作られつぎはぎの「神話」だけだった。
でも、そんな僕の破滅的な恋愛が、ある種の「神話」をもたらしたこともまた事実だった。
いま、僕はそのつぎはぎを丁寧に組み解き、時間をかけて正しい組み合わせを探している。
根気が必要であるにも関わらず、得るものが無い作業だ。
海水の中から、自分の精子を探す作業に似ているかもしれない。
僕が神話を喪失したとき、僕はそれが永遠に去ってしまったものだと思い込んでいた。
彼女たちが求めたものに対して、僕が何も応えられなかったとしても、僕はその空振りを通じて失った物語の断片を探すことができた気がしている。
というわけで、僕は誰かと共有するあてのない物語を書き続けている。
何かを失ったり、何かを手にいれたりする人々の話を書き続けている。
ときどき、僕の目の前を「神話」を確立し続ける人々が通り過ぎる。
彼らは僕を訪ねもしない、ビラも渡さない。それでも僕は彼らとすれ違い続ける。
例えば、地下鉄のホームで。
地下鉄の車両から、彼らは勢い良く吐き出される。
髪は清潔に整えられ、体は引き締まり、程よく日焼けをしている。
携帯電話を片手に、誰かに向けて彼らの世界と、その価値を熱く語る。
彼らの降車を待って、僕は列車に乗り込み、ホームを振り返る。
通話先にいるのは、取引先だろうか、あるいは恋人か。
どっちであっても、僕にはもう関係ないことだった。
車内に残ったオー・デ・コロンの匂いが立ち消えるころ、僕は彼らのパーフェクトな生活を忘れて、
僕の物語へ沈んでいく。
それらの物語を、他の、誰かと共有するために。
いつの日か、自分にも価値があったんだと思うことができるようになるために。
神話を失っていないヒト達へ。
つまり、マイナスの自尊心と言うべきなんだろうけれど、いわゆる「神話」みたいなものを持っている人は多数派であり、そして自分のように「神話」を失ってしまった人間というの...
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http://anond.hatelabo.jp/20160527043842
「効率が悪い」という理由で、いろいろと棚上げにできるってのが、健全というか、元増田の言葉を借りるなら無邪気で羨ましい。
3行で頼む
信心たるものを自分で見つけ出せなかった言い訳を本件の文意に見出すのは良い態度と言えない。 それぞれが信じている各ワールドに幻想めいた真実があるではなく、不動の価値に自ら...