2016-05-24

http://anond.hatelabo.jp/20160524144932

①「受け入れる必要性がない」というのは、「全知全能」を体現し実行できる状態を未だかつて体験したことのない人間はそれに対して何の情報も持っておらず、全知全能を持ってすると何が起きるのかということを理解していない中で、ブラックボックスに対して定義付けを行うことが不可能であり、情報欠如の中で作り出した定義を実際に全知全能の神に対して適応することが不可能でありそれが正しいかどうかの確証を得ることも不可能観測検証に用いないというが、観測を無くして定義実証と法の確認不可能であり、実証不可能なことに対して不完全な情報で挑む以上、望む答えを得ることはできない。

論理的帰結を求めることができるのは問題となる論理が正確であることが前提条件となる。先に述べたように全知全能に対する正確な情報がなく観測もできない状態論理構築することは不可能。「人間が想定しうる全能において矛盾が発生する事象」これは問題のもの矛盾しているからであり神が矛盾を解消する手立てを有していたとしてもそれを全知全能でない人間が発想することもできなければ認識実証することも不可能である。全知全能である神が矛盾を起こさないという状況を未だかつて人類経験したことがないため解消できないに過ぎない。定義が解消されないことは全て情報不足であり人間理解できる答えが用意されている、約束されているという前提があるからである

③神が法を作り神が法を破ったとしても、それは法である神の行いであり全てが正しい。この人類存在人類が求める定義に対する答えでさえ世界を作る法である神の采配に帰結する。神が法を作り法を破ることを観測するにはこの世界存在しない観測者が必要であり、定義を発する人間がこの世界にいる限りは法が全てであり絶対であることに変わりはない。つまり定義に対して法である神に対して指摘することができる存在は、神に干渉されることのない外法となる存在が前提として必要となる。これは論点ずらしではなく定義定義として機能しない前提で進もうとしていることの問題を指摘している。

観測必要

  • 観測や体験の問題ではなく論理整合性の問題。 能故に生み出される最強の盾と矛がある、という設問にすぎない。誤謬というより元増田を読んでいないし延々と同じ間違いを繰り返し...

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