折り紙くれるなら、折っていないきれいな1000枚がほしいな。
鶴を折った中古品なんていらない。
新しい折り紙で、避難所で小さな子供が年寄りから折り紙を教えてもらってもいいんじゃない?
こどもの日のためのカブトを折ったり、飾り付けをしてもいいんじゃない?
そもそも、千羽鶴ってどこで知ったかと考えたら、小学校だった気がする。
級友が言い出したのか、先生が言い出したのかは忘れた。
折り紙を持ち寄って「1人何羽折りましょう」とかいわれたような。
親しい友達と、学級委員と、先生が入院先にもっていったんだろうな。
それで、なんかその級友のためになった気がした。
その時間で、「入院した級友が何に困ってるか考えましょう」ってやってほしかった。
「話し相手がほしいかもしれない。」「学校の様子が聞きたいかもしれない。」とか
「することないから、漫画がほしいんじゃないか」とか「好物を持って行ってあげよう」とか
逆に、「1人にしてほしいんじゃないかな」っていう意見もでるかもしれない。
そして、自分たちがやれそうなことをすればいい。
結論として、「私たちにできることは何もない」でも、良かったと思う。それが事実かもしれないのだから。
先生は「みんなで相手のことを思って1つのものを作るりあげることが大切」なんて言うかもしれないが、組体操の問題に似てて、
根拠はないけどフジテレビ辺りの感動ポルノの演出に感化されてる一般層なんじゃないかと睨んでいる
学校でペットボトルキャップノルマ一気解決するためにキャップがヤフオクで取引されてるのと同じように折り鶴もヤフオクで取引されてる。 ちなみに落札ログをざっと見たけど80羽380...