自然言語の一見不合理な特徴はよく考えると皆全て合理的だった。不規則動詞はよく使う動詞に限定されているから、その他の重要ではない動詞から区別しやすくなるし、よく使う動詞に限定されているから覚える負担も少ない。細かい文法規則は情報伝達の冗長性を高める。印欧後の動詞の屈折なんてまさにそうだ。
発音が単純なのも良くない。悪いわけじゃないけど良くもない。人の脳は言語によって変わったりしないから、一定時間で伝達される情報量は同じだ。だから発音が単純な言語は速く発音される。英語や中国語は日本語よりもずっとゆっくりだ。
基本的な単語と高級な単語が平等なのも良くない。高級な単語は覚えるのが大変だし、使用頻度が少ないから長くなっても構わないから、接尾辞接頭辞を多用するのは意味がある。基本的な単語でそれをやったらあらゆる単語が長くなってしまう。kolda (cold)がなくてmalvarma (un-warm)というなんて馬鹿馬鹿しいということだ。
語順が自由なのもダメだ。ルールが少ないとそれだけ情報伝達の効率が落ちる。自然言語で語順が自由な言語は、他の制約が多いに違いない。ラテン語なんて語順は自由だったそうだが、格がたくさんあっただろう。
自然言語は常に新しい話者の獲得と、既存の話者の情報伝達の効率という二つの要求の間の妥協点を目指して最適化され続けている。まさに神の所業で、これを人工的になんかできるわけがない。
エスペラントの合理性は主に「学習上の合理性」であることを指摘しておきたい。 人称による屈折の変化がないのも、発音が単純なのも、長い単語も厭わないのも、学習効率を狙っての...