まさに俺の理想とするような手を指されて負けた。
悔しいんだけど。悔しさが無いみたいな感じ。
まったく読めなかった。
どういう手かとういとに、1手で2つ以上の含みを持たせる手をさされたわけだけど。
将棋って1ターンに1手しか動けないから2つ以上の意味のある手をさされると負ける。
具体的には、飛車に当てての銀打ち。別段響いてないから、勝ったなって思った。
だけど、数手後に角金交換が起こって。勝ったなって思ってたら。なんと詰み。
そう、飛車に当ててきたときは別に詰め路じゃなかったけど、駒交換が起こった後にイキナリ必死になってた。
こういうやられかたは初めてだけど、これこそ俺が目指してるある一定の完成形。
定跡本とかでたまに出てくる妙手はこういう奴が多い。
これを、あっさり指された。
ああ、これこそが将棋狂いだよなあ。って感じ。
会話も成立しないくらいの発達障害具合だから、ヤバイんだけど。
う~ん。やられた。
で、何が悔しいか考えてみたら。
俺は、本業のほうでも将棋と似たようなことやってるくせに、本業がこのレベルに達していない。
ぶっちゃけ、本業がアンマリ好きじゃないから本気にもなれない。
本来なら、本業はせめて将棋くらいは超えていなきゃいけないのになあ。
ダメだなあ俺は。
努力が足りない。
その悔しさを感じた。
スポーツ専門、ドラマ専門、ニュース専門、ってしたほうが選ばれやすいと思うんだけど。、
朝日新聞と産経新聞みたいな棲みわけが、テレビ朝日とフジテレビにあるようには思えないんだが。
今はASD。
自閉症と同じくくりになっている。
これで喜々としてアスぺを馬鹿にするのは間違い
大きく「個性」としてみなされる。
いわゆるアスぺの成功者が世の風潮を変えた結果だ。
かといって、少数派というだけで生き辛いのは間違いない。
特にこの国は顕著だ。そんなこと、ここで言っても仕方ないんだけど
海外に20年いてこれから家庭の事由で帰国するものだが、技術者向けに書かれた投稿なので、自分のような文系で海外を渡り歩いた身としても意見があっていいかなと思って追加させていただく。
こちらの方の言うとおりで、日本の技術者は大抵においてレベルが非常に高い。それと技術者は文系と違って求められる語学レベルも一般の低いので、自信を持って海外でも仕事をしていただきたいとは私も思っている。
大枠、元増田の言うとおりだと思うが文系 国際営業・事業開発などがキャリアになる場合だが、これに加えて…自分が行ってきて大事だったなと思うのは
私は英語国、非英語国を交互に入れ替わっていて、現地語も会話が基本的に成り立つレベル(中級レベル下、位)までは上げるように努力していた。もしその現地でしか自分のやりたいことが出来ないのであれば、現地語だけでよいと思う。
もしそうでなく、将来を決めかねているのであれば、リソース配分に英語力を「落とさない」を是非入れて欲しいと思う。特に若いとその後の長いキャリアで何があるか、分からない。
また理系と違って文系の国際業務はコミュニケーションが全てだ。喋れない人間はその仕事への条件を満たせない。
例えばイタリアにピザの修行に行くのは、ゴールが明確だしとても良い選択肢だろう。ベイエリアのテックスタートアップで働きたいのも自然な選択肢だろう。
ところが単に海外経験が欲しいだけであれば一般論だが特に非英語国を選択する時は注意しないといけない。その国の事を知る為に投下するリソースは、将来役に立たないことが多い。
常にそのキャリアの最後にどうしたいか、日本にいつか帰国するのか、どれぐらい自分の家族、お金などのリソースはそれを許すかは先にプランを立てるべきだ。
・年齢を意識する
30代以降の海外渡航は自分自身のやる気とは別の問題が自分では思いもしない所で起こりがちだ。自分の病気、家族の病気、突然の問題などなど、そういった予見できる問題を超えてでも達成したい何かがあるかは常に意識して行く前に考えておきたい所。
増田です。私の経験ですが、その人個人、を見る方が上手くいきます。
気長な人、短気な人、勤勉な人、怠けがちな人、どの国にもいます。
得意分野も苦手分野も専門も違います。その人が何のために仕事しているか、を理解することも必要です。
上司だから、ということで命令をするより、協力を依頼する方がうまくいきます。
あと、大きなお世話かもしれませんが、
人と人を比べることはあまり良いことではありませんね。
オタク「ラブライブ!の特典欲しすぎて金足んねぇwwwww何回映画館行かせる気だよwwwwww」
オタク「中居がアイマスwwwwwwオリコンガンガン入るし市民権得てる感やべぇwwwww」
オタク「待機列でうんこ漏らしてる奴いたはwwwwwwwwぜかましコスのマンチラ超ティッシュ減るwwwww」
オタク「オリコンなんかアケカスの特典商法だらけで信用できるかよ!電通のゴリ押し!作られた流行!礼儀正しいコミケを見習え!」
厳密にはまとめのアフィブログなんだけどね
その女は世の男どもにアナルを広げて見せびらかし、男たちはみな、その女の虜になった。
やがてその女は女王となり、いつしかその国は穴台国と呼ばれるようになった。
史実では穴台国は邪馬台国と呼ばれているが、それは後の考古学者たちの捏造である。
彼らは頭が固く、「穴台国!?アナルで国を統治??こんなことあってはならん!」
ああ分かった。そもそも政府がIT政策をしていなければ、もっと悲惨な状態だったんだ。プログラマーもSEも日本にはゼロ。ネットのインフラもゼロ。これでも限界ギリギリの精一杯やって今の状態が作られているんだ。高望みをしすぎていたのだ我々は。
え?だって癌で亡くなった人と震災で亡くなった人は全然違うじゃん
釈然としないも何も死因が全く違うんだから当たり前のことでしょ
結婚できなくて1人だったことも冒頭のはなしと全く関係ないし支離滅裂だよ
嘆いてたって何も解決しないだろ・・
http://anond.hatelabo.jp/20160228134239
おいニワカオタクをバカにしてるつもりで自分がニワカだということから必死に目をそらしてる可哀想なオタクに真実をつきつけるのはやめろ
日本の補助金で学ばせてもらっても、海外で働くことの選択肢を入れても良いと
私は考えています。
例えば
1.海外で十数年働き、日本に戻ってから海外で働く技術者を支援・教育する。
2.日本では行われていない技術を研究・開発し、日本に戻ってからビジネスを展開する。
3.海外で会社を設立し、日本人を優先して雇うようにする。雇った日本人が1.2.を行う。
できることはたくさんあると思います。
死霊術師としてのすべては、今は亡き祖母から伝習した。大学では文学部に進学した。これはもともと歴史学に興味があったことと、死霊術師としていつか遭遇するかも知ない事態に備えるためだった。
大学3年生の終わりころ、死霊術師としていよいよその事態を迎えることになった。
ある日テレビを見ていると、旅番組のようなものがやっていて、滋賀県の西部の山林地帯をいつも見る芸能人が歩いていた。何の変哲もない番組だった。しかし、テレビを介しても充分過ぎるほどに、死者が放つ霊の波動が伝わってきた。もちろん、普段生活していてもその種の死者の波動を感じることはある。霊波は一般に、腐ったり火葬したりして身体が失われると弱まる。またたとえ身体があっても、時間経過によっても霊の波動は弱まる。人間やその他の生き物は、その場にとどまろうという意志を長くはもちえないのだ。恨みだとか、一般に強そうと言われる意志ですらそうだ。こういうのは仏教的に言うと成仏していくってことなんだろう。魂は残らない。めったには。
テレビで知った、滋賀県の霊波は別次元と言えるほど古く、そして強力だった。おそらく、亡骸がある程度そのままの、古い死体があるのだろう。そして、強靭な意志を21世紀でも保っている。
死体と強い意志。これが重要だ。死者蘇生の用件を満たしている。そしてかなり古い。
腕試しにはちょうどいい。見つけてしまったらもう止められない。死霊術の行使者として、その興味関心を止めることはできない。
祖母から習った作法で、霊波の質から霊が生きた(死んだ?)時代のおおよその年代を感じとった。520年+-30年前くらい? 手元の『日本史辞典』を紐解く。室町後期? 手が震える。研究室で『国史大辞典』にかぶりついた。
その頃の近江は一般に長享・延徳の乱と呼ばれる動乱期にあった。守護の六角氏討伐のために将軍足利義尚が長く近江に陣を設けていた。どうやら死体はこの時期のものらしい。
私は大学の研究室の院生の先輩に聴いてその時期の文献を学んだ。また隣りの言語学研究室と国文学研究室に行って、室町時代の言語やその発音について質問した。かなり難しい。筆談の方がいいかもしれない、と祖母のアドバイスを実感をもって思い出した。まさか室町期の死体に会えるなんて。せいぜい行って天保期くらいだと思っていた。古い死体なんてものは時代を遡るにつれて加速度的に少なくなる。祖母は明治4年に死んだ男の死体を蘇生したことがあると言う。これでもだいぶん古い方だ。室町期の死体なんて、祖母からもきいたことがない。後で聞けば、先輩方は私が卒論で室町時代後期を扱うから一生懸命調べていると勘違いしていたそうだ。
春休みに近江に旅した。大きなスーツケースを持って。蓬莱なんてお誂えむけの地名だ。山の方に入っていく。山は静かだった。ほどなくして現場に到着した。霊波は強い耳鳴りのような形で私の身体に具現する。こんな古くて強い霊波、他の死霊術師が気付かなかったのはちょっと不思議だ。まぁ波長が合う、合わない、はかなり厳密だから。私にもってこいのチャンスなのだ。私は女ながらオリエンテーリング部で体を鍛えていたから山歩きは結構得意なのだ。オリエンテーリングなんて全然興味が無かったんだけど、新人歓迎コンパで迎えてくれた先輩方の雰囲気がすごく良かった。サークルでは、大学生なりだけど、人との付き合い方、間の取り方を学べたと思う。高校生の時にはあまり意識できなかった、人間(じんかん)の距離感や発話。
山道から沢に下りる。死体が残った理由が、何となくわかった。日本では死体はすぐ腐って亡くなってしまう。しかし沢下にはぽっかりと、知られざる洞窟が顔をのぞかせていた。多分ここに死体がある。相違ないだろう。もしかしたら近年はずっと埋まっていて、最近になって地震などで再び穴が地表に現れたのかもしれない。だから今まで波動に誰も気づかなかったのかも? 洞窟は沢が近く低温が保たれ死体が保存されたのかも。あるいは永久凍土なんかがあって風穴で涼しいのかも。ま、これを考えても詮無い。とにかく、死体があるのは明らかなのだから。
ひんやりした洞窟に足を踏み入れる。かなり急だ。いよいよだ。震えるほどだ。周囲には驚かれるけれど、死霊術の技術は、実は私にとってはとても簡単なものだ。血も継いでいるし、祖母と言う佳き師もあったから。祖母もいっていたことだが、基本的に死霊術師は技術的な部分はそんなに問題にならない。むしろ重要なのは、死者と会い、契約する時の対話の仕方だ。死者が生きた時代の言語や常識を、こちらが把握してしっかり対話せねばならない。そうしないと蘇生に応じないこともあるだろうし、蘇生したい旨すら伝えられないこともあるだろう。死霊を怒らせてしまっては、あるいは成仏させてしまっては元も子もない。死霊術師の実力はここで決まる。このことを上手くやるために、私は大学では文学部へ行ったのだ。もし死霊術師に生まれなかったら、稲の光合成の研究をしに理学部か農学部へ行きたかった。
洞窟の奥にややひらけた場所があり、その壁によりかかるように木製の箱型の人工物が見える。…ああ、かなり古い牛車だ。小八葉の牛車? 公家が移動手段として用いていたもの。八葉の大きさ、小さい? 大きい? これで身分が大体分かるのだが…肝腎の大きさが、大きいのか小さいのかわからない。そんなの文献に載ってない。牛車なんて初めて見るんだ。そもそも近江に牛車。やや不可解? 足利義尚の近江出陣の際には公家も近江まで出向いたというから牛車できてたのか? それにしたって牛車で近江まで行くの? なにもかも自信が無くなってくる。
これではだめだ。祖母の言によれば、まずはその人をそのまま、そのままに感じるのだ。先入主観は退けるのだ。牛車の文様が大八葉だろうが小八葉だろうが、なかに居る主こそを見るべきなのだ。
精神を澄ませる。霊とは頭の中で会話する。結局、『太平記』のテキストをメインに準備を進めていた。『太平記』は南北朝時代を描いた軍記物で、室町後期には往来物として身分を問わず人々に広まっていた。死体の教養がいかほどであっても『太平記』の語調なら大丈夫ではないか、と考えた。とうぜんテキスト変わっているんだろうけど…。
「私はあなたよりも後世を生きる人間で、その間に人間が語る言葉も変わってしまった。この言葉があなたにどの程度通じるか私にはわからないが、どうか話を聞いてほしい」。ここまでテンプレ。国文学研究室の富田先輩ありがとう。
…牛車がガタガタと動く。御簾が超自然的な動きを示し、内の暗闇をあらわにする。お化けが怖い人はびっくりするんだろうけどもちろん私はそんなことはない。打掛の裾が見える。小袖が二重? そして茶色く干からびた手のひらが…暗くてよく見えない…が、死者に話しかけた段階で幽界との淡いが生起し、この世ならざる強烈なイメージが五感以外から五感を経由し認知される。死体は髪の長い公家の女性が見える。平安時代のオカメで十二単のイメージがあるけど、それより軽装だ。でも相当めかしこんでいる。この時代の人間は小さいしガリガリだな。さぁ、いよいよだ。頑張って蘇生の素体になってくれるよう語りかけよう。
「…私の寂滅からどれくらいの時間が経過しましたか?」むむ、なんとかこれくらいなら聴き取れる。うほっ、「太平記読み」専攻の坂田先輩ありがとう! 高校の非常勤やりながら大変でしょうけど博論頑張ってください。
「五百有余年でございます。『太平記』を読んであなたの時代の言葉を学びました」「…私も『源氏物語』で古の言葉の遣いに触れました。」「実は、…今日はあなたにお話しがあって武蔵国から参ったのです」いよいよ本題だ。
「あなたは強い心をお持ちで五百有余年をお過ごしになられました。そして幸いにしてお体も崩れず残されております。私はあなたの精神と身体とを結び付かせ、再び現し世に復することができます。再び洞窟の外に出て暮らしてみるのはいかがでしょうか」
「たしかに私はまだ黄泉の食物を口にしておりませんね」さすが公家の娘だけある。当意即妙にこたえねば。「私なら黄泉比良坂をあなたを連れて戻ることができます。」「どうして私を選ぶのです」「あなたのように長らく意識と身体とを保つ例はめったにないことなのです。」実はこれはあまり理由になっていない。死霊術師の衝動を説明するには、私には言葉が足りない。彼女が尋ねる。
「当時(筆者注:ここでは現在の事を指す)は死者を供養する作法は未だ仏式を用いますか?」意外な質問だ。自らの供養を望んでいるのか? 「ええ、大分形はかわっておりますが仏の教えは今でも通用しております」「ならば既に死んだ者を私なりのやり方で供養して、意味があるということですね」…あやうく意味を取り損ねるところだった。ちょっと不可解な質問だ。彼女は何を考えているのか。彼女の事を深く知った今になって考えると、これは彼女なりにかなり考え抜かれた、ある種の哲学のようなものだった。彼女の培った供養の作法。そのルールがもし現代で途絶えていたら。つまり仏教が現代に伝わらなくて、もし私たちが何か違う祈りの作法で死者を弔っていたら。きっと彼女は蘇生に応じなかっただろう。彼女の知っているルールで現代でも供養ができる。これが彼女にとって重要だったのだ。
「私は京都の六角富小路に邸宅がある公家(筆者注:ここでは「こうけ」って読んでね!)に生まれました。大乱(筆者注:ここでは応仁の乱を指す)の後の騒擾の世でありますから、私は近江を根拠にする武家の御仁に嫁ぐことになりました。いよいよ渡嫁のとき、牛車が谷に落ちて私は命を落としたのです。嫁ぐことが決まってから、武家奉公人の生活が如何様であるか、主人が如何なる稟性を持つのか。和歌は読めるのか古典は存じているのか。いつも想像していました。」死霊術師の常識から考えれば、それだけでここまで精神は保てない。私はほとんど確信をもって尋ねた。「もちろんそれだけで想いを保つことはできなかったでしょう。どうして。」
彼女はここで初めて表情を私に感じさせた。「実は洛中で一度彼の人をお見かけ申上げたことがあるのです。私の生家は上って四位の家柄ですから、ふらふらと外にでてもあまり咎められることは有りませんでした。ある日京師が物騒になり武家の人が20騎ばかり邸宅の前を過ぎりました。颯爽と武者を連れていたのが、後々判ったことですが我が主人となる方でありました」え? それだけ。うーん恋愛感情ってわからないけど、そんな単純な感情で何百年も持つのかな? 単純だからこそ長持ちする? わからんね。すると彼女が続ける。
「死んだあとはずっと新しい生活の事を考えていました。武家の生活。今まで見知った知識や噂話全てから、ひとつひとつ、未だ来ぬ時の先をずっと、ひとつひとつ限りなく。一日の起きてから寝るまで。衣服の糸先から世情に至るまで。とにかくひとつひとつ。世に現れるであろう現象をすべて想像しうる限り、ひとつひとつ。彼や周囲の人間との交わされたであろう会話をひとつひとつ。彼の人とのありうべき時と出来ごとの全てをひとつひとつ想像していたのです。そうしたら、ええと、五百有余年過ぎ去っていたというわけです。」そうして彼女は莞爾した。私は一発でこの女性を好ましいと思ってしまった。こんな偏執的で叮嚀な思考回路を持った人があるだろうか。この人なら。彼女に21世紀の平成の世の中で夫となるはずだった人の菩提を弔わせたり、あるいは彼の一族についてその後どうなったか調べさせたりすることは、彼女の心性をおそらく負に傾けることはないだろう。ひとつひとつ、彼女には想像したことの自分なりの答え合わせをしてもらえたら。私がそのお手伝いができたら。ちょっと身勝手か。とにかく、この人なら大丈夫だ。
好奇心とイマジネーションとを併せ持って、平成の世まで意識を有した五条顕子姫の死体は、その意識と共に、こうして私の赤羽のマンションにやってきた。