特に目的もなく院進学する感じになった。就活が上手くいかず院に逃げ込んで2年間無駄に年を取って社会に出るよくある選択だ。
在学中にこれといった技術は身に付けられずロクな成果もあげられずクソみたいな自堕落な生活で4年間過ごしてきた。留年しなかったのは奇跡だと思う。
奨学金を膨らませ就活も特にやる気も出ず終わって院進学したいと親に言ったら息子がニートになるくらいならと了承してもらった。
結局院に行ってもモラトリアムの延長以外感じられないけどそれより怖いのはもう一度就活をしなければならないことだ。博士になる気なんざさらさら無いし働いてまでやりたいことも結局見つからない。
この後の2年間も研究ごっこを続けながら働くことに怯えて過ごしていくと思う。
「全力で自分のやりたいこととすり合わせようとする奴」と仕事をするのは、たまたまそれが君の要求事項に合致しているからであって
それで結局誰が幸せになるんだよ。
まあそうだよね言ってる人自身はマウント簡単に取れて気持ちよくなれるよね「一時的に」。
自分が理不尽な目にあってそれで誰かに「でも貴方が~~」って言われて何も言い返せずぐぬぬってするしかなくなるよ?
そこで無理に言い返せば過去から飛んできた無数のブーメランが自尊心をズタズタに引き返しながら往復を続けていくことになる。
そんで世の中の理不尽なことなんてたくさんあるんだからすぐにそのダメージは今までマウントで気持ちよくなった量より大きくなっていく。
そんなのもういい加減終わりにしませんか?
理不尽な目にあった人間が何か言ってたら一緒になって理不尽に対して怒るだけでいいじゃん。
「いちだん」だけになんちって☆
お後がよろしいようで
特に女性の職が全くないからかつては東京の大学を出て帰ってくれていた女性が東京に留まり、地方の大学を出た女性も東京に行き、しかも東京は日本でもっとも子供を産み育てにくい都市だから出生率に深刻な影響があるらしいな
「君がやりたいこと」を妨げることが、その人にとっての「やりたいこと」であった場合、君はその人を使う?
なんであらゆる人間と上手くやらなきゃいけないのかがそもそも理解できない。根本的に合わない人とは別の世界で生きればいいじゃん。
これに対する反応は?
中途採用でいい人材が居れば来てほしいが、目を向けてくれる絶対数が少ない。
同じ地域に同職種の仕事がなければ、Uターン希望者で優秀な人でも来てくれれば万々歳だ。
新卒でも基本は一緒。地元に残りたい気持ちのある学生で、いい人に巡り会えたら儲けものという感覚。
まあ現実は厳しい。
「希望の職につけるなら、地元がいい」という人も、実はそれなりにいる。
が、そういう人が地元のその職に就ける会社を受けても採用されず、結局都会に出ていったという例を、俺は何人も知っている。
「条件さえよければ、場所は問わない」と優秀な人材が面接に来る。
が、近隣の大都市にある別の会社と条件を比べられて、結局はそっちに流れてしまう。
こうして、都会に出たい訳ではない人たちまで、大都市に集中することになる。
企業の方は、地元で人材を確保できず、事業を続けることが難しくなる。
そんな現象が起きていると感じる。
心理学者ボッサードの法則によると生活圏の物理的距離が近いほど恋愛の成功率は上がるらしい。そんなことはわかってんだがどうしようもないだろこれ。俺は都内だがかわいい子は皆千葉や神奈川に住んでる。方向も違うから途中まで一緒になんて事もできない。これは何が悪いんだ。女運が悪いのか。俺が結婚できないのは結局女運のせいか。もうすっかり見飽きた締め方になるが、日本死ねよ。
海外ブランドの輸入サイトの価格と本国のネットストアの価格差とか
簡単にはっきりと目に見えるようになった
ユーロ・円のレートで5000円しない服が13000円
とはいえ自分に本国の住所で受け取って転送してくれる友人もいなければ、そういう仲介業者を探すノウハウもない
そういったあれこれの手数料を考えれば、まあ妥当な価格ではあるのだろうと自分を納得させる方向に持っていく
商売というのは輸入にかかわらず何でもそうだ
原価だとか元値に拘るのは極端な考えだと分かっている
悶々としている
君がそういう欲求を持っているなら、そういう欲求に合致した人が使われるだけだよ。
そんなの当たり前じゃん。なんでそれがあたかも「悪いこと」であるかのようなニュアンス出してるの?
というか、仕事というものが本質的に他人のためにやるものだから、 「自分のために仕事をする」というスタンスは齟齬をきたしやすい
という君の価値観に対して反論しただけであって、その価値観と「そういう欲求に合致した人が使われる」ことが「悪いこと」であるかのようなニュアンス出しちゃうことが既に矛盾してんじゃん。結局「その価値観が全てであって欲しい」という君の欲求に過ぎないってことじゃん。
「君がやりたいこと」を妨げることが、その人にとっての「やりたいこと」であった場合、君はその人を使う?
なんであらゆる人間と上手くやらなきゃいけないのかがそもそも理解できない。根本的に合わない人とは別の世界で生きればいいじゃん。
フミコフミオさんのエントリで、一瞬遂にあの会社を脱出出来たのか⁉︎
と嬉しくなったが違った。まったくライバル会社に引き抜かれたらよかったのにな。
同業で転職して流動食とか老人ホームとか向けの仕事も奪ったらよかったのに。とか知らないから簡単に思うだけだけど。
結婚した時点でお酒控えめにしてたら今頃もしかかしたらとか優秀な能力のある他人の人生だから色々思ってしまう。
ところで奥さんがお風呂を絶対に先に入って後には入らないというの、本当にすごく汚いんだろうな。
風呂では体が洗えるんだから、普段から離れててもわかるくらい悪臭で無い限りは湯船に入る前に体をよく流す、きちんと洗うをしてたらなかなかそこまで嫌がる程汚くはならないと思うから、使い方が汚い、後から入る奥さんへの配慮がまるで無いってことなんだろうな。いや、奥さんだからこそ配慮しないのか。
仕事するのにブラウザ起動してて、ついでだからとツイッターとかフェイスブックとか増田とかmixiとか開いてた。
タスクが終わったり、大小かかわらず壁にぶちあたったり、気が進まなかったり、何か割り込みがあるたびにそれらを巡回してた。
とくにツイッターやフェイスブックなんかは、新着があるとタブに未読数が表示され、それが溜まっていると消化したくなる。
そのせいで仕事が進まず、よくないから改善しようと思い立ち、ある日からこれらをブラウザから常駐させることをやめた。常駐してないだけで、気が向けばチラ見はするけれど。
するとどうだろう、集中力が断然違う。今までよりも数倍はタスクに入れ込めるようになった。
とくに未読があっても常駐させないからどこから読んでいないかは気にならないし、そもそも未読があったからといって自分に重要な話など5%にも満たないのだ。うすうす感づいてはいたけど。
続いて通勤電車内でSNSを貪るように読んでいたが、それもやめた。
車内でのネットワークの遅さにイライラしながら、話題のブログなんかにアクセスして、それがしょうもない話だったりして、さらにストレスをためていたことに気づく。
通勤車内では、片手をあげられるスペースがある程度なら、文庫本を読むことにした。有名な芥川賞や直木賞受賞作家の作品だと、好みはあろうが大きなはずれはない。
つまり、くだらない今はやりのブログなんかを読むより、精読するのにストレスがたまらない。むしろ安心して読書にふけることができる。
これで通勤中に得られる情報はいつもよりも数倍になったことに気づく。
意識高いとか言われる気がするけど、今のSNSの質が良くないってだけで、またネットワークが向上したり、質の良いコンテンツが生まれたときにはそっちを使えばいいと思ってる。
今現状は自分のつかっているSNSは少なくとも朝から晩までひっついてる価値があるものではなかった。1日に3回ぐらいアクセスしたら十分。軽い情報取得ぐらいがストレスたまらない。
仕事がストレスなのはもちろんなのだが、実際はSNSにへばりついてるのもストレスだったのだ。俺は今ストレスの根源に気づき、解放された。すがすがしい。