中身はもちろん知らないけど、新しい大河ドラマ、ちゃんと真田幸村ではなく真田信繁って表現するのがとてもいい。「幸村こと信繁」とか紹介している。とても丁寧。
歴史って、昔のことだからもう動きがない、とか新発見はないor少ないと言われる。だがもちろん新発見・新認識ってのはいろんなレベルである。
寛文12(1672)年の軍記物『難波戦記』が「幸村」表記の初出だそうだ。
この後、沢山の物語が「幸村」を採用し、『戦国無双』『戦国BASARA』などの現代の作品にまで至る。
信繁自体は幸村と言ってないわけだな。
340年くらい、必ずしも正確ではない名前からイメージを膨らませていたのだ。
これがどうした、大した問題ではない、と思う人も多いだろうけど、「幸村」が340年の間「物語」として想像されてきたことを留意するきっかけにはなるだろう。
自分が楽しんでいるテキストが人々のイメージの積み重ねの結果、出現したのだと。
これを知っててテキストを読むのと知らないで読むのとでは読解する上で大違いなのだ。
「幸村」って現代の作品でも赤いイメージで描写される。なぜだろうか?
これはすなわち「幸村」が「赤備え」といって赤い装備で戦に挑んだからに他ならないだろう。
ただし「赤備え」は「幸村」だけがしていたものではない。井伊直政もたしかそうだったはず。
「幸村」の方が頻繁に物語に登場し「赤備え」のイメージが膨張して、現代の「戦国シリーズ」に伝わるわけだ。(井伊もまぁよく語られる存在なんだが…)
「赤」のイメージから幸村に「熱血キャラ」「炎系キャラ」の性格付けも行なわれていよう。
こういう、要素を歴史的に解体して考えるのって、作品を楽しむうえで重要だと思うのだ。
真田丸は、340年間膨大に蓄積された「幸村」イメージのその果てに位置づけられる。
そこでは「信繁」とすることで見える地平もあるだろうし、従来の私たちの持つ「幸村」像の延長もまた見ることが出来るだろう。
新しい「信繁(幸村)」像に期待したい。
わざわざ相手に伝わらない「信繁」呼びをして悦に入ってる歴オタのうざさよ。 まあ大河で「真田信繁」が人口に膾炙すればいいがね。 赤備えはそもそも武田のイメージ。真田は元武田...