2016-01-04

友だちが居なくても許してほしい

友だちが居なくたって生活はできるし仕事もできる。仕事必要コミュニケーションと、プライベートな交友は別物だ。業種にもよるのだろうが、他人個人的に親しくなるスキル不要仕事は世の中にごまんとある。

確かに、友だちと過ごす時間楽しい。でもそれは、無くても問題なく生きていける程度のものだ。私は唐揚げ焼き鳥が大好きだけれど、明日から急に鶏肉が食べられなくなったって、絶望せずに生きていけるだろう。唐揚げ焼き鳥の無い世界は少し寂しいけれど、美味しい食べ物は他にもたくさんあるのだから

友だちが居ないと不安になるのは、周囲の人間の目によるものが大きい。友だちが居ないというだけの理由で異常者扱いされ、場合によっては肉体的・精神的な暴力さらされることになる。なぜ、積極的危害を加える側が「正常」で、日々を平穏に過ごしたいだけの存在が「異常」なのか。理解に苦しむ。

友だちを作らねばならないという重圧は、特に学校生活において顕著だった。クラス担任は必ずと言っていいほど、友だちの有無を気にかけていた。別に友だちが一人も居なくたって、卒業までは学校に通うつもりだから、放っておいてくれ。友だちが居ないこと自体は大して辛くはない。友だちが居ないのが悪だという、その重圧がしんどいんだ。学校の居心地を悪くしてるのはお前らなんだよ。

友だちを増やすこと、友だちと一緒に過ごすことを重要視する価値観否定したいわけではない。私は、そういう価値観共感はせずとも理解はする。邪魔をするつもりは全くない。でも、だからこそ、私の価値観を少しくらいは尊重してくれたっていいじゃないか。

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