どうにかなるんじゃないかと自分ならあがくけどなあ…
(昭和前期生まれのうちのじいさんばあさん、両方原因不明の難病持ち、
代替医療のなかでオーリングテストはお勧め、まあ安いし(月一回、2ー3万円)。
KADOKAWAとはてなが共同で、新しい小説投稿サイトをオープンしたそうだ。
小説投稿サイト自体は今時珍しくない。が、公式で定められた作品の二次創作が可能だそうで、むしろ奨励しているように見える。
今まで出版界では、煩雑さ(と、もしかしたら売上げの事情)により、二次創作を黙認していた。
それが、TPPという時代の波により、こぞって「二次創作がなくなっては困る」というスタンスに転じている。
新しいサイトをこしらえて、さあどんどんやってください、と宣っているのだから、乗っかればいいようなものだけれども。
某大手サイトを見てみれば、数えきれないほどの二次創作がアップされている。アニメショップへ行けば、薄い本がいやというほど並んでいる。
男性向けは、絵の上手いこと、キャラクターが魅力的(多くは女性キャラが可愛い)ことが重視され、ストーリーに拘らない短いものが多い。
特に同人誌ではほのぼの系の4コマや短めの話、または山も落ちもないR-18が多く見られるように思う。
女性向けの大きな特徴は、キャラクター単体の魅力でなく、キャラクター同士の関係性、多くは恋愛関係が描かれがちなことである。
その夢を見る力(言い換えれば妄想力)による二次創作は、外野からすれば理解できないほどの熱量がある。
もちろん、男女や作品の傾向に関わらず、考察や本編の補完、シリアス物などの二次創作も多く存在する、が。
一介のオタクとして、色々な漫画を読み、アニメを観てきた。もちろん本家の作品に加えてグッズも買うし、その延長線上に、二次創作の消費がある。
しかし、薄い本を開きながら、スマホの画面を見ながら、あなたは思ったことがないか。
「これ、もう原作の要素どこにも残ってねぇな…」と。
この辺りは、人によってもかなり意識が異なるように思われる。ある男性は「本家じゃないんだから、本家から近いとか遠いとかどうでもいい。原作が全て」という意見で、それはそれで最もだと思う。
逆に、「原作が好きなら、どうしてこんな話を書いてしまうんだろう」と、割り切れない思いを口にするのも、むべなるかな、というところではある。
個人的には、二次創作というのは、あくまで「ファン活動」だと思っている。ある作品を好きになり、自分でもその世界に浸りたい、拡張してみたい、と思う気持ちから、人は絵を描いたり文字を
描いたりしはじめる、のではないのか。
商業ベースに乗る作品は、いや商業ではなくとも、人を惹きつけ、二次創作したいと思わせる作品には、当たり前だが「魅力」がある。
その魅力的な作品の、さらに好きな部分だけを抜き出し、都合のいいように改変し、はては自分の性欲のはけ口にして楽しいか。
見る影もなく可愛らしくなってしまった男性キャラ。何だかやたらとお手軽になびいてくる女性キャラ。そんなものを描いて、読んで、消費して捨てていくのは楽しいか。
慣れない書き方で肩が凝ったから手短に言うと、二次創作界隈って、残すべき文化がどうのとか言うほど高尚なもんだったんだっけ、という素朴な疑問である。
基本的には愛がだだ漏れてるだけのファン活動だろう。本家を超えることはないだろうし、これは本家を超えた!とか言われたらむしろ戦争が起きる。
コミックマーケットは確かに、「何かをつくる」「愛好する」、人の営みの祭典だろう。
参加していて誇らしいし、ずっと続いて欲しい。その中に、二次創作というジャンルも勿論あるべきだ。楽しみたいし、実際楽しい。
でも、
何が言いたかったのか忘れた。たぶん、自分から何か言いたかった訳ではない。
二次創作のことは好きですか。二次創作に大事なものは、何だと思いますか。
物語のことは好きですか。物語に必要なものは、何だと思いますか。
何かとても間違ったことを言っている気がするけども。叩き台のつもりで書いてるので適当に噛み付いてくれていいです。
以上。
わかるわかる!俺も人の肉の焦げる匂いが好きだけど殺人は好きじゃないんだよなー。でも人の肉の焦げる匂いを嗅ぎたいから仕方なく人燃やしてるみたいな。
えー、だって絵はきれいだけど話はスカスカな作品とか本当にあるんだもん
リングアウトしてもブコメはできる。つまり増田ブクマ家たちの中には過去に増田にいたが再起不能になりブクマカになった増田の亡霊もいるのではないか?
起きる。
スマホを少し見て、会社から電話が入ってることを知る。そのままスマホを伏せる。
とりあえずそのままもう一回寝る。
また起きる。腹なんか減ってない。
帽子を目深にかぶって、お菓子とチキンとドリアを買いに行く。毎回同じスーパー、コンビニへ。
何も考えずガーッと過食する。
寝る。
起きる。もうだいぶ夜遅い時間になっている。
まとめサイトと YouTube を何回も読む。たぶん同じ内容をずっとぐるぐる見てるだけ。
少しベッドから起き上がって、タバコを吸いに行く。自己嫌悪がドカンと落ちてくる。
寝る。
単にヘイトする上での逃げ道の確保をしてるだけだよ
要はパートさんなんでしょ?
パートさんいないと店回らないし、当然大事だって言う風に建前として言うけど、代わりはそこらへんに石ころみたいに転がってるし(そういうことは口にしないけど)、お前が大事なわけじゃないんだよ(非常勤講師という存在が重要なんだよ)、ということだよね。
映像作品に対して「脚本は良かったけど映像は微妙だったね」やそれとは全く反対の事を言っている人を結構見かける。
いや、正確にいうと「少し考えれば自分がおかしなことを言っているのだと気づくはずだろうに」としか思えない。
それはあたかも料理の味と匂いと見た目とそして名前が切り離せないのと同じように。
コーラの瓶にコーヒーが入っていたら誰もが面食らって一口飲んで「まずい!」と言うことだろう。
納豆の匂いがするケーキがあったとしてそれは惜しく食べられるだろうか。
しかしここで考えて欲しい。
それだと言うのにどちらか片方を「なんてややこしい瓶なんだ!こんな瓶を作ったやつはゴミクズだな!」と非難するのはおかしいと思わないかね。
もしもここで悪者がいるとしたらコーラの瓶にコーヒーを注いだ人間だと誰もが思うだろう。
時に監督は作りたい映像のために脚本の整合性を犠牲にしたり、反対に物語性のために映像としては退屈なシーンを要求する。
こうして出来上がった作品の中には、監督のイメージした作品作りの結果犠牲になる部分が出るかもしれない。
それに対して「この作品はここが良かったけどここが駄目だった。全くこのスタッフは本当にチンカスだな」というのは実に物の見方が狭すぎはしないだろうか。
と私は思うんだがね。
もしかしたら私の物の味方が大局的すぎるのかも知れないなとも時折考えないでもない。