2015年12月26日の日記

2015-12-26

まともな人なんて日本人には数えるほどしかいないんだよ…

かまぼこが高い季節がやって来ると

この増田を思い出すなぁ。

年末かまぼこはなぜ高いのか」

http://anond.hatelabo.jp/20141221074517

これからもずっと思い出すのかな。

http://anond.hatelabo.jp/20151225193646

国境なき医師団を推しておくけど、遺産相続みたいな気持ちなら効率より気持ちで選んだほうがよさそう。

時間がまだあるなら気になるNGOに足運んで決めるのもいいかもね。

ゲームなんてやってる人々ががみんな本を読み始めたら良い社会になるのに。。。

ようしらんけど

anond:20151225193646

酒飲んで寝てる間に両腎臓まれたのでもないなら、

どうにかなるんじゃないかと自分ならあがくけどなあ…

昭和前期生まれのうちのじいさんばあさん、両方原因不明難病持ち、

でもなんとか家事こなしてケンカしていきてる)

代替医療のなかでオーリングテストお勧め、まあ安いし(月一回、2ー3万円)。

あと「31歳ガン漂流から33歳までの3冊見てると結構生きるんじゃないの。今文庫が108円。

それ読んでから考えても遅くなさそうな希ガス

http://anond.hatelabo.jp/20151226021022

パーティ気分で浮かれた子供が寝ないとできないことがあるだろ

二次創作」って何だろう

KADOKAWAはてなが共同で、新しい小説投稿サイトオープンしたそうだ。

小説投稿サイト自体は今時珍しくない。が、公式で定められた作品二次創作が可能だそうで、むしろ奨励しているように見える。

今まで出版界では、煩雑さ(と、もしかしたら売上げの事情)により、二次創作を黙認していた。

それが、TPPという時代の波により、こぞって「二次創作がなくなっては困る」というスタンスに転じている。

新しいサイトをこしらえて、さあどんどんやってください、と宣っているのだから、乗っかればいいようなものだけれども。

そもそも、二次創作とはどんなものか。

大手サイトを見てみれば、数えきれないほどの二次創作がアップされている。アニメショップへ行けば、薄い本がいやというほど並んでいる。

内容は男性向けと女性向けで傾向がかなり異なる。

男性向けは、絵の上手いこと、キャラクターが魅力的(多くは女性キャラ可愛い)ことが重視され、ストーリーに拘らない短いものが多い。

特に同人誌ではほのぼの系の4コマや短めの話、または山も落ちもないR-18が多く見られるように思う。

女性向けの大きな特徴は、キャラクター単体の魅力でなく、キャラクター同士の関係性、多くは恋愛関係が描かれがちなこである

その夢を見る力(言い換えれば妄想力)による二次創作は、外野からすれば理解できないほどの熱量がある。

もちろん、男女や作品の傾向に関わらず、考察や本編の補完、シリアス物などの二次創作も多く存在する、が。

 

一介のオタクとして、色々な漫画を読み、アニメを観てきた。もちろん本家作品に加えてグッズも買うし、その延長線上に、二次創作の消費がある。

しかし、薄い本を開きながら、スマホの画面を見ながら、あなたは思ったことがないか。

「これ、もう原作の要素どこにも残ってねぇな…」と。

この辺りは、人によってもかなり意識が異なるように思われる。ある男性は「本家じゃないんだから本家から近いとか遠いとかどうでもいい。原作が全て」という意見で、それはそれで最もだと思う。

逆に、「原作が好きなら、どうしてこんな話を書いてしまうんだろう」と、割り切れない思いを口にするのも、むべなるかな、というところではある。

個人的には、二次創作というのは、あくまで「ファン活動」だと思っている。ある作品を好きになり、自分でもその世界に浸りたい、拡張してみたい、と思う気持ちから、人は絵を描いたり文字

描いたりしはじめる、のではないのか。

商業ベースに乗る作品は、いや商業ではなくとも、人を惹きつけ、二次創作したいと思わせる作品には、当たり前だが「魅力」がある。

その魅力的な作品の、さらに好きな部分だけを抜き出し、都合のいいように改変し、はては自分の性欲のはけ口にして楽しいか。

見る影もなく可愛らしくなってしまった男性キャラ何だかやたらとお手軽になびいてくる女性キャラ。そんなものを描いて、読んで、消費して捨てていくのは楽しいか。

いや分かる。楽しい自分も好きである。正直な話。

慣れない書き方で肩が凝ったから手短に言うと、二次創作界隈って、残すべき文化がどうのとか言うほど高尚なもんだったんだっけ、という素朴な疑問である

基本的には愛がだだ漏れてるだけのファン活動だろう。本家を超えることはないだろうし、これは本家を超えた!とか言われたらむしろ戦争が起きる。

コミックマーケットは確かに、「何かをつくる」「愛好する」、人の営みの祭典だろう。

参加していて誇らしいし、ずっと続いて欲しい。その中に、二次創作というジャンルも勿論あるべきだ。楽しみたいし、実際楽しい

でも、


何が言いたかったのか忘れた。たぶん、自分から何か言いたかった訳ではない。

でもKADOKAWA中の人に聞いてみたい。

二次創作のことは好きですか。二次創作大事ものは、何だと思いますか。

物語のことは好きですか。物語必要ものは、何だと思いますか。



何かとても間違ったことを言っている気がするけども。叩き台のつもりで書いてるので適当に噛み付いてくれていいです。

以上。

http://anond.hatelabo.jp/20151226030011

わかるわかる!俺も人の肉の焦げる匂いが好きだけど殺人は好きじゃないんだよなー。でも人の肉の焦げる匂いを嗅ぎたいから仕方なく人燃やしてるみたいな。

http://anond.hatelabo.jp/20151226020308

えー、だって絵はきれいだけど話はスカスカ作品とか本当にあるんだもん

しろ良いところを褒めようとすると「……絵はきれいだったね」と言うしかないんだよ

ケーキで例えるなら、素材や見た目はおいしそうだから期待して食べたら、味はいまいちだった、みたいなよくある話だよ

http://anond.hatelabo.jp/20151226022033

リングアウトしてもブコメはできる。つまり増田ブクマ家たちの中には過去増田にいたが再起不能になりブクマカになった増田の亡霊もいるのではないか?

http://anond.hatelabo.jp/20151226020308

作品という塊の長所短所を述べてるのではないか?

比べたときにたぶんその人の主観で優劣がわかりやすくでていたからこそ意見したくなるみたいな。

そもそも映像脚本をきりわけて考える人というのは一般視聴者ではないような気がする。

人界のゴリラについて

安全地帯から暴言を垂れ流してストレス発散してる人がいるけど、

そのたびに「ああ、この人今私に向かってウンコ投げてすっきりしたんだなー」って思う。

ゴリラは威嚇行動としてウンコ投げてくるらしいけど、違った趣のゴリラが人の皮を被って私の周りにいるんだと感じる。

ここ一週間の過ごし方

起きる。

スマホを少し見て、会社から電話が入ってることを知る。そのままスマホを伏せる。

とりあえずそのままもう一回寝る。

また起きる。腹なんか減ってない。

帽子を目深にかぶってお菓子チキンドリアを買いに行く。毎回同じスーパーコンビニへ。

何も考えずガーッと過食する。

寝る。

起きる。もうだいぶ夜遅い時間になっている。

まとめサイトYouTube を何回も読む。たぶん同じ内容をずっとぐるぐる見てるだけ。

少しベッドから起き上がって、タバコを吸いに行く。自己嫌悪がドカンと落ちてくる。

上司に「すみませんでした」とメッセージ送る。

寝る。

明日病院に行く。

今日クリスマス

http://anond.hatelabo.jp/20151225091605

今のオタク界隈ってウェーイ系だよな。みんなで盛り上がるのに必死異端排除

http://anond.hatelabo.jp/20151226020308

単にヘイトする上での逃げ道の確保をしてるだけだよ

http://anond.hatelabo.jp/20151226015129

要はパートさんなんでしょ?

パートさんいないと店回らないし、当然大事だって言う風に建前として言うけど、代わりはそこらへんに石ころみたいに転がってるし(そういうことは口にしないけど)、お前が大事なわけじゃないんだよ(非常勤講師という存在重要なんだよ)、ということだよね。

http://anond.hatelabo.jp/20151226021022

お約束だよ

押すなよ、絶対押すなよ

みたいなもんだよ

主に視聴者が得するよ

サンタがいると子供に嘘をつくことに何の意味があるの?

誰得なの?

映像作品映像脚本を切り分けて考える人が分からない

映像作品に対して「脚本は良かったけど映像微妙だったね」やそれとは全く反対の事を言っている人を結構見かける。

そういう人達が何を言っているのかよく分からない。

いや、正確にいうと「少し考えれば自分おかしなことを言っているのだと気づくはずだろうに」としか思えない。

映像作品は全体で1つの塊だ。

それはあたか料理の味と匂いと見た目とそして名前が切り離せないのと同じように。

コーラの瓶にコーヒーが入っていたら誰もが面食らって一口飲んで「まずい!」と言うことだろう。

納豆匂いがするケーキがあったとしてそれは惜しく食べられるだろうか。

逆にケーキ匂いがするステーキは美味しいだろうか。

しかしここで考えて欲しい。

コーヒーを入れたコーラの瓶、それらは互いに悪者だろうか?

瓶はコーラを入れる分には何の問題もなく機能する。

コーヒーだってカップに注げば何の問題もない。

それだと言うのにどちらか片方を「なんてややこしい瓶なんだ!こんな瓶を作ったやつはゴミクズだな!」と非難するのはおかしいと思わないかね。

もしもここで悪者がいるとしたらコーラの瓶にコーヒーを注いだ人間だと誰もが思うだろう。

では映像作品においてそれは誰か、監督である

時に監督は作りたい映像のために脚本整合性犠牲にしたり、反対に物語性のために映像としては退屈なシーンを要求する。

そしてスタッフはそうして与えられた仕事を精一杯やるわけだ。

こうして出来上がった作品の中には、監督イメージした作品作りの結果犠牲になる部分が出るかもしれない。

それに対して「この作品はここが良かったけどここが駄目だった。全くこのスタッフは本当にチンカスだな」というのは実に物の見方が狭すぎはしないだろうか。

と私は思うんだがね。

しかしたら私の物の味方が大局的すぎるのかも知れないなとも時折考えないでもない。

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