年間数十時間を入り待ち出待ちに費やすオタクの風上にもおけないわたしが、オタクになってからずっと考えてきたことである。
基本的に三次元のオタクの世界では、出待ちはだめだという風潮になっている。
公式で出待ちのある宝塚は、他のジャンルのオタクから「まあ宝塚は別枠だから」と言われる。
そして東京の有名な劇場だと、なぜか事務所が出待ちを禁止している子達でも、「どこどこ劇場だから〜」と出待ちが突然許された風潮になる。
そして、これまで出待ちなんて来たことがなかったようなおばさんのオタクたちが待ち始める。パンフレットにサインをしてもらう。握手してもらう。舞台が終わって疲れているはずの◯◯くんが「ありがとうございました」と自分だけのための笑顔を数秒くれる。
すると、これまで「出待ちなんて…」と叩いていたオタクたちが口をつぐみ出し、気づいたら出待ちファンに成り下がっている。
アイドルでもなんでもない彼らは、イベントでもない限り、ファンが気軽に言葉をやりとりできる相手ではない。
あんまり人気がない人だとツイートをファボしてくれたり、リプライをくれる場合もあるが、いわゆる若手俳優の中で日常的にそういったことをしている人というのはあまりいない。
ブログが更新されてコメントをしても、そのコメントに対するレスはない。
もちろん手紙を書いたって、もはや読んでいるのかわからないレベルだ。読んでいる子もいるし、正直読んでない子もいる。
けれど、出待ちをすれば最短でも数往復のやりとりができる。よっぽどギスギスした現場でもない限り、「観ました(観ます)!」と言えば、ありがとうございますと言われる。
よっぽど追いかけまわしていない限り、彼らの発する言葉は限られる。
「そうなんですか。」「本当ですか?」「うれしいです、ありがとうございます」
彼らは現場でbotになる。待ち始めた頃、たくさん話せたような気持ちになって会話を思い返してみても、気づけば話しているのはわたしばかりで、向こうは無難なレスしかしていないことを知る。
彼らにとって、たとえ出待ちをするファンだとしても「ファン」だからだ。
そもそもそういう職業だと割り切って、自分でここまでは話すと決めている子もいるし、自分はホストではないと絶対に出待ちとは話さないと決めている人もいる。
出待ちに慣れてないオタクは断固拒否の俳優でもない限り、肯定しかされないから、自分が出待ちすることを本人が肯定してくれていると思い込む。
それが限りなく消極的な「仕方ない」肯定だということには気づかない。
彼女たちにとって、目の前の俳優は自分と同じ人間ではない。その事実は知っているはずなのに、頭で理解しようとしない。
自分が職場で誰かに待たれていたらどんな気持ちがするのか、考えたりしない。むしろ、くだらないプレゼントや舞台の感想を書いた手紙を「あげている」自分、出待ちなんかして時間を使って「あげている」自分という気持ちになる。
そういう本当に迷惑なファンに成り下がっても、ほとんどの俳優はそのオタクが消えていなくなるまで待つ。
出待ちファンを拗らせてホラーすぎる行動に出るオタクも世の中にはたくさんいるし、たくさん見てきた。
明らかに嫌がられていて、他の共演者にも困った顔をされ、時には他の共演者がその俳優を守るような素振りを見せても、そこまでまわりが見えなくなったオタクが気づくことはない。
けれど、ある日突然いなくなる。いなくなるものだから、どういう気持ちで、なぜ気づけたのかとても気になるけれど、聞けたことはない。
最寄りで待ってしまったり、「ここまでで」と言われても延々着いていったり、ご飯やさんに押しかけたり、そこまで時間を費やして、それが本人に拒絶される原因になってしまったと気づいたとき、どう思うのか全く想像がつかない。
そもそもそういうことをしても許されると思っている時点で自分が何様でどういう発想でそういうことをするのかよくわからないが、あれだけ情熱を傾けていたものをうしなって、なにをして生きているだろうとむしろ心配になる。生死を案ずる。死んでいないかしらと不安になる。誰かしらがどこそこで見かけたと話が回ってきて、よかった生きていたともはや安堵する。
出待ちをすることは本人に嫌がられることだということをわたしは知っている。
けれど、わたしは待つ。なぜなら、本人は待たれることを諦めていることも知っているからだ。
わたしが待たなくても誰かは待つ。出待ちは肯定されてはいけない。舞台の観た人全員が出待ちをしたら街は大混乱になる。
一方で、だめでありながら、誰かは絶対に待つこともみんな知っている。だから、わたしは劇場という物語の中で「出待ちをしちゃう最低なファン」という役を割り当てられる。
そして、たくさんの暴言を受け止めながら、しれっとした顔で待つ。面白かろうが面白くなかろうが、入れる限り公演には入って、毎日待つ。
いつも待つけどいっぱい公演には入ってくれる◯◯ちゃんになる。どれだけつまらない公演でもたくさん入るので、例え舞台がつまらなくても、制作がいい加減でも、俺のチケットノルマを買い支えてくれる◯◯ちゃんにもなる。
そして、一定数の俳優は、どうやってこんなに俺に会いに来るのに、どこかで舞台に通うだけのお金を準備するんだろうと少し興味を持つ。そして、そうでない俳優は、よくわからないけど、出待ちはするけどたくさんお金を使ってくれる人だと自分にとって都合のいい部分で受け止める。
そこで付け上がるオタクは2.3年でいなくなる。
わたしはこんなにたくさんお金を使っているんだから出待ちして対応してもらって当然、イベントでファンサをしてもらって当然、大切にしてもらって当然。
そうやって消えていくオタクもたくさん観てきた。
けれど、世の中には出待ちなんかしなくても、舞台を全通してせっせと手紙を書いて、一生懸命応援しているファンはいるのである。
お互いに言葉を交わすことはほとんどないし、本人はその人の顔も知らない場合が多い。
しかし、手紙をもらうたび「この人いつも来てくれるなあ、昔からずっとだなあ、ありがたい」と俳優は思う。
顔すら知らないから、イベントで俳優から声をかけることはできない。だから、俳優の「ありがとう」という気持ちはファン本人に届くことなく消えてしまう。
俳優は引き止めることも、直接お礼を言うこともできないけれど、そういったファンもまた自分を支えてくれていることを知っている。
出待ちファンが、これだけお金を積んでいるから、対応されて当たり前は成り立たない。
あくまでそこの繋がりはない。結果論だ。これだけ俺にお金を使ってくれるくらい俺のことが好きな(かわいそうな)子だ。優しくしてあげよう、と思えば、対応は優しくなる。
最初はファンも喜ぶ。わたしは出待ちファンなのにそんなに優しくしてくれてありがとう!と感謝する。
けれど、次にやらないと「どうしてしてくれないの?わたしのなにが悪いの?」と怒る。
大抵そういうオタクは他のファンに嫌われているので、対応されないと「やっぱりあの子出待ちなんかして嫌われてるんだわ」と言われる。
嫌われていると思われたくない。みんなの前でわたしの存在を肯定してほしい。普段自分の悪口を言い、会場でヒソヒソと遠目に話しているファンを見返したい。
しかし、それにずっと応えていれば、他のファンは興ざめする。
あの人出待ちなのにあんなファンサしちゃうんだ、わたしたちはルールを守って応援してるのにバカみたい、と思う人は一定数いる。
そして俳優はその出待ちファンと他のファンとの板挟みになり、やがてそのファンのことが疎ましくなってくる。
お金は使ってくれるけれど、色々とワガママを言ってきて面倒だ。最初から対応なんかしなきゃよかった、こんなことになるなんて思ってなかった、と思っているだろう俳優も何人も観てきた。
ちゃんとファンとの線引きをできなかった俳優にも非はあると思うが、そもそも出待ちなどの現場でちらっとしか話さない自分のファンの性格や人間性なんてわかるわけがないし、運が悪かったとしか言えない。
だんだん対応が悪くなっていき、オタクも干されていることに気づき、離れていく。
そうやって消えるオタクもいる。
また、ただ単に対応が慣れから悪くなっていき、それにオタクが失望して辞めるパターンもある。
何年も追いかけていると、機嫌が悪い日もたくさんある。けれど、オタクはぐっと堪える。すると、俳優は「俺がどんな態度とってもこの子は俺のことが好きなんだ、追いかけてくるんだ」と勘違いする。
お礼を言うことを忘れてしまう子もいる。全通するからね、と言って「そうなんだ」と返してしまう俳優もいる。
けれど、全通は簡単なことではない。プライベートの予定をスケジュールとにらめっこしながら調整して、資金を調達して、チケットを買い揃え、毎日の劇場までの交通費を払い、など、考えると気が遠くなる行為だ。
俳優は、舞台全通なんてしたことがないから、オタクがそのためにどれだけの犠牲を払っているのか、ピンとこない。
俳優にとって、その子が全通やそれに近い劇場通いをしてくれることはもはや当たり前だからだ。
そうなってしまった俳優に失望して辞めるオタクも数多く見てきた。
別にお礼を言われたくて全通しているわけではないし、本来お礼を言ってもらえるものではないが、お礼を言う場があるのにお礼を言わないとさすがにオタクの心も着いていけなくなる。
◯◯くんの演技、大根だなと思ってずっと応援してきたけれど、同じお金を使うならもっと有名な人の出ている良い舞台を観ようかなと思うオタクもいる。
こういう結末は結局どっちが悪いのか、わたしには判断がつかないけれど、一番多いと思う。
それは、自分は出待ちをして迷惑をかけていると自負しながら追いかけていて、また、俳優側もそのオタクに感謝の気持ちを忘れなかった場合である。
そういったオタクは、自分が叩かれて当然だと思っているので、ファンサをされなくても怒らない。むしろされると、ラッキーくらいの気持ちでいる。
自分は出待ちをしてしまう最低なオタクだと思っている傍ら、心から板の上に立つ俳優を好きでいる。
だから、対応が多少悪くても「そもそも出待ちしてたのが悪い」「疲れてるのに申し訳ない」という気持ちを常に持ち合わせている。
もはや、板の上の俳優が好き過ぎて、出待ちをして迷惑をかけている自分という存在にすらちょっと苦しむ。
俳優も、「この子は俺が嫌なときには空気を読んで帰る子だ」と思うので、だめなときは遠慮なく今日は対応しないと通告してくる。オタクもそれを受け止め、おとなしく帰る。
さらにオタクの中には、俳優が嫌がっていることをするファンを止めてくれる人すらいる。
ご飯屋さんで待っていたり、タクシーで追いかけようとしたり、延々着いていこうとするファンに声をかけて、止めたりする。
これは俳優本人が絶対にできないことだが、確実に嫌がっていることなので、「この子は俺が電車に乗るまでストーカーを止めていてくれる使えるオタクだ」と思い始める。
若手俳優のマネージャーはそこまで仕事をしないので、俳優はストーカー(と化したファン)を自分でなんとかしなくてはいけない一方で、自分が対策をしたら逆に喜ばせてしまうこともわかっている。
たとえ男といえど、家まで着いてこようとしたり、自分の待ってほしくないところまで待とうとするファンは、気味が悪いので、代わりにオタクが対策すると嬉しいと思っている俳優が一定数いる。
オタクは頼られて嬉しいので、頼まれたことを必死に遂行しようとする。そして、お互いにWinWinの状態になる。
オタクがもう追っかけ辞めようかなとこぼすと、まだ発表されてないけれどこんなこんな仕事があって俺は◯◯ちゃんにみてほしいって思ってるんだけど!と引き止めようとする。そういう話も珍しいことではなくて、そういうとき、俳優に人間味を感じる。
わたしがいなくなったら、またわたしみたいなオタクが現れて◯◯くんはその子にもこんなことを言うんだろうかと考え始める。
何時に現場に入るよだとか、何日はどこで仕事があるよだとか、自分だから教えてくれるのか、それともこの俳優は自分みたいなファンには誰でもそうするのかわからなくなる。きっと答えはYESでありNOでもある。
けれど、その答えを知りたくなくて、オタクは現状維持を続けてしまう。俳優に気を使いながら待って、機嫌を損ねないように話して、対応が悪くても落ち込まないようにいつでも受け止める心でいる。
勿論根底に「好き」という気持ちはある。けれど、好きだからこそそれ以上に不安なのだ。
自分が大好きな俳優にとって、替えの効く「個」なのか、それとも唯一無二のそれなのか。
その不安に気づかないためにひたすら待つ。