2015年10月24日の日記

2015-10-24

チェルノブイリの子供は、老人に電車の席を譲らない

自分が年をとって体が弱った時に席を譲ってもらえたら嬉しいでしょ?」

「僕は老人にならないよ。その前に死んじゃうから

て話を思い出した。

   

妊婦に優しくされない人間妊婦に優しくする筋合いなどない”京都の彼の件。

   

恋愛結婚が是とされる世の中。

妊婦はそれを経た人達

増田はそこに辿り着けない、容姿差別によって。

   

それを手にした人達を労わるだけでなく、そこに辿り着けない人達にも目を向けて

って増田の主張にも一定説得力はあると思うなあ。

維新とはなんだろうか。市町村職員の立場から

統治機構改革

財政再建

規制緩和

この3点に尽きる。

この権限は全て我ら役人が持っているに等しい。

しかし、役人世界の中にも権限を持つものと持たずものがいる。

わたしのようなぺーぺーで組合活動にもろくに出てないカスにはなんの権限もない。

課長には逆らえない。組合役員には逆らえない。

徹底的な縦割り官僚制

掟破りに人権はない。

早く橋下市長のような市長が各市町村の長になることを望む。

はやく維新のやり方の正しさについて陽の目を見る日が来ることを望む。

http://anond.hatelabo.jp/20151024230258

なんで?

女の子も会話している時はニコニコして頷いてくれる。

臭いは気を使ってるし若いと言われる。

映画ギャラクシー街道」観てきました。

友達がおらず、感想が言えないので、増田の皆さんにご報告です。

本日公開の「ギャラクシー街道」を劇場で拝見させていただきました。

率直に言って、松本監督の新作って感じでした。

大日本人」→「しんぼる」→「さや侍」→「R100」→「ギャラクシー街道」って言われても納得しちゃいますね。

そういう意味だと、よくできた作品だと思いました。

http://anond.hatelabo.jp/20151024230007

俺は見て回って声を掛けるのが仕事なんだよ。

社会復帰目指しているヤツらは驚くほど1人では何もできないからな。

放っておくとこれ終業まで何もこなさずに帰り、次からは来ないんだ。

大方これで学校も辞めたんだろうな。

若い女の子はなぜオッサンが嫌いなんだ?

若い男より金もある。何でも買ってあげる。話だって経験豊富面白いだろう。

食事も良い物を食べさせてあげられる。女の子の我が侭も許す。

一体何が嫌なんだろうか?

どうして同年代の男を選ぶのだろう?

[]

金曜日、なぜかパソコンの前でぼーっとしている新しく入った男性Y。

「何をしているのですか?作業をしてください。」と声を掛けると作業をするが15秒後にはまたぼーっとしている。

「分からないなら聞いて下さい。」と言っても無言で反応無し。

何をしているのか全く理解出来ない。

からない事をきちんと聞けるのは女性が多い気がする。

ただ鬱からの復帰女性が多く一度混乱すると手がつけられない。

http://anond.hatelabo.jp/20151024214257

遅刻が増えるはガチ

ただし男の特徴な

女の特徴は暗くなる

http://anond.hatelabo.jp/20151024221829

描いてるがぶっちゃけるとあんまり困らんよ。

1.2冊アップされる分には宣伝になるからな。

どう考えても男はワガママな女が好き

終了アニメを見終わって思う事

愛されヒロインがほぼワガママ

もちろんヒロインは皆顔が良い、そして抜けておりワガママ

まり顔が良くて頼ってくれる女が好きという事で間違い無いな?

lain』的社会

Serial experiments lain という作品で『わたしは偏在する』というフレーズが出てきた。

作品に関してあれこれ考察してしまうとキリがないので、とりあえず短く最近実感した出来事について書く。

Serial experiments lain(以下lain表記)はインターネット現代のように身近な存在となり、わたし達の生活になくてはならないもの

として描かれた作品だ。(と思う)

作中では、インターネットによってつながり過ぎてしまった人達が、過度と言えるほどに不安に晒されるシーンがちらほらと見られる。

日常アニメではSNSキャラクターたちの会話をスムーズに進めたり、絆を深めたりといったシーンを目にすることがあるが、lainでは反対に、インターネットに囚われ、インターネットに怯え、繋がる恐怖に怯えてSNS中心のコミュニケーションに恐怖心を煽られる。

放送当時は1995年あたりだったので、とても新鮮に思えるかもしれないが、ツイッターlineで簡単に、常に人間関係意識せざるを得ない状況になってしまっていて、lain舞台、そのままの社会に移り変わろうとしている。

『わたしは偏在する』

インターネットがある限り、わたし、という個人はどこにでも出現し、他者から意識され、認識される事になる。

私の周りでは、ツイッターというツールを使用している数多の若者がいる。

2ちゃんねるでの匿名性を帯びた人間から風評被害が恐れられていたが、ツイッターは個人の延長として利用されるケースも少なくない。

ツイッターの簡易的なプロフィール本名学歴、生年月日を記入することが可能で、個人情報はいくらでも記載が可能となっている。つまり2ちゃんねるのようなはっきりとした匿名性とは異なり、facebookのようなノリで、『自分(わたし)』という一定人格情報を発信させている人たちがいるのだ。

「〜ちゃん、ウザいよねw」

「〜つまんなかった」

「あの大学マジありえない」

「〜は嫌い!」

「〜キモイ!」

「〜は死ね!」

頻繁にかどうかはわからないが、ツイッターでみられる誹謗中傷の例だ。

ツイッターで嫌いな人が居たら、ブロックすればいい。見なきゃいい。てか、俺のツイート、ウザいなら見んなよw

なんていう人がいる。対面して出会った人達の中での人間関係リアル人間関係)で、こういう発言をする人達は、ツイッターユーザーを簡単に『ブロック』しているのだろうか。

ブロック』は存在をこちら側から消し去ることと同じだ。向こうから干渉することは出来ない。自分世界タイムライン)に存在を認めない事だ。

ツイッター独り言から、嫌なら見なければいい」

本当にそうだろうか。

あなたは『偏在する』のだ。

その発言は、「あなた」が発言した事になる。

リアル人間関係で思ったことをあなたはその場で、本人に向かって、先ほど挙げた例のような言葉を発信するのだろうか。

あなたが本人を目の前にしていようが、いまいが、あなたは『偏在する』

ツイッターの中だろうが、インターネットの中だろうが場所なんか関係なく、常に人間を目の前にしているのと何ら変わりないのではないか。

インターネットの中で、わたしたちはこれから生活しなければならない。すぐそばには、一瞬で世界に繋がれるツールがある。

世界中の人に向けて、そして同時に特定人間コミュニティに向けて、あなたは目の前で「発言をする」。

偏在するわたしは『あなた』に向かってこれを伝えたいと思いました。

なぜ女から法律範囲搾取してはいけないのだろう?

もちろん法律範囲内で

ジロジロ見るのも性的な目で見るのも違法では無いはずだろう?

仕事と家庭の両立など笑わせる

それが嫌だったから、昔の女性農村から逃げてきたんじゃないか

今更戻そうったって無理

つり革握る電車

机に伏して眠るとき

今日一日の疲れとともに着ていた服を脱ぎ捨てたとき

ふとしたときに思い出す

さいころに飼っていたバケツの中のザリガニを思い出させるのは脇の臭い

手書き履歴書派と電子履歴書派の折衷案を思いついた。

名前だけ手書きで書いてもらって中身はパソコンで書く。


これで名前で字の綺麗汚さを見れて、しかも書くのは大変じゃない!!!

やった!!!

世に美女は多けれども

写真を見るだけでドキドキするのはあの子しかいない。

これはただの面食いじゃなく恋だと思いたい。

はじめて注目エントリに入った

単純に嬉しかった

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