SEALDsとかいう学生団体が国会前のデモのイメージを刷新させたのは事実である。
夏休み、実家である賃貸マンションの一室から歩いて30分の国会前まで歩いてみたが今までデモにいた人間とは違った。
「綺麗」なのだ。
高校三年生、とてつもなく受験が絶望的だった時に早稲田大学卒の自分には比較的冷たいデブだが肌は綺麗な現代文教師が集団的自衛権行使容認の閣議決定への反対のデモに行った感想を授業中に喋った。
可愛い顔をして慶応大学に受かった女の子二人はこの発言で笑っていた。
確かに、参加者は老人とモテナイこじらせた若者たちが中心だった。自分も覗きにいったからこのことはよくわかった。
自分の容姿はとても汚いから、覗きにいった時に汚いデモの一構成員になっていたのかもしれない。
ついでに、現代文教師がデモの感想を発言していた授業中に解いた早稲田大学の国語の問題はクラスで最下位の点数だった気がする。
今までと違って明るいと。こういうのがやはりうまくいくし、別に彼らの就職活動は問題ないとも言っていた。
これで分かるのはSEALDsへの世間からの良い評価というのはデモを「綺麗」にしたということである。
メイクをした目の大きな、肌が綺麗な、鼻が通った、スタイルも悪くない女子大生がデモに参加しているのは世間的にプラスに働いた。
もちろん、批判なのかよくわからないがSEALDsへネガティヴなコメントもある。
この話をまとめるとSEALDsへの評価の一つというのは容姿がいいということであり、批判は大学の偏差値が低いということだ。
SEALDsに対して皆が言うことは自分の生きていることへの批判になるのだ。
また、安倍の熱狂的支持者のツイッターを見ると、報ステのインタビューに答えた集団的自衛権行使容認へのデモに参加していた女子大生への悪口が、「本当にこいつ大学生か?40歳以上のババアに見えるぞ」というような内容だったので、自分が何を言ってもこの汚い容姿は批判の材料になるし、偏差値が低いゴミ大学の映像学部ということも否定の材料になるのである。
あぁ、容姿よく生まれてこんなSEALDsも何も悪い頭で考えずに、ただ楽しくセックスできる偏差値の高い大学に通う人間に生まれたかった。
朝には久しぶりの大学だ。つらいが行かなければならない。
2時だ
朝やるって手もあるけど
この時間まで起きてるし確実に寝過ごす
3時リミットでやろう…
追記 3:10
ちゃんとやったぞ
俺は自分をほめていいと思う
よくやったぞ俺、がんばったぞ俺
もう休んでいい、休んでいいんだ…
登山の備えと一緒。
しっかり備えをした高学歴は国が危機状態になっても生き延びれるだろう。
そこらへんのフリーターどもを見れば、いかに備えが重要であるかわかるだろう。
彼らは知ってか知らずか準備を怠った。知っていたとしても、慈悲はない。
悲しくなる必要なんて無いですよ
こっちだって割り切って会いに行ったんですよ
割り切ってセックスさせてやったんですよ
遊んであげたのはむしろこっちの方ですよ
一番になんてなりたくないんですよ
悔しい
なかなか品ぞろえがよく、ちょいと高めの燻製缶詰とエールビールをチョイスする。
レジには今どきの子らしく色白ながらも黒髪で素朴な印象の女子高生。
目鼻立ちのはっきりした方ではないが、その年齢特有ともいえる透明感が目を惹きつける。
「いらっしゃいませ、ポイントカードはお持ちですか」
業務上の会話の中にも初々しさが垣間見えて、自分の在りし日を回想する。
女子高生に囲まれて過ごす、人生たった一度きりの黄金時代に、俺は。
「634円です」
ぎこちなさの中にも精一杯の笑顔を作ってみせる彼女は、すこし少年らしさも感じさせた。
発展途上の人間にとってこの息苦しい世界はどう映っているのか。
頭いたくて1日目寝てた。
ネットだけはずっとやってて、みんなの有意義なツイートを見ると焦燥感を感じる。
自分も何か面白い事、充実してますよってアピールしたいけど、持ち札無くて見てるだけ。
馬刺し買っていい?とか、23にもなって子供とその親みたいな買い物して、
けどずっと続けばいいなとか思う。
自分も社会人になって、お金に困ってる母親を少しは助けられるようになって、
好きなものちょっとだけ買えてお金ないって焦らない今が1番楽しいかもしれない。
こういう毎日がずっと続けばいいのにな、
「かわいい」は便利だ。何にでも使える。
「かわいい」と言われてうれしい時、私もお返しに何かを言ってあげたいのに、そこで「かっこいい」を使えないのがもどかしい。
何て言えばいいのか分からなくて、「ありがとう、大好き」と返事をする。
違うんだ。
ありがとうと思っているし、大好きだとも思っている。でも、そうじゃないんだ。
「ありがとう」も「大好き」も、それはただの私の気持ちでしかなくて、ほんとはもっと遠くの視点からあなたのことを認めたいのに。
インターネットって、微妙な敬語の言い回しとか、スマホでメモ取るのは云々とか、染髪とか、
そういう社会人になってから身に付ける系のマナーに過剰に厳しい人は割りと嫌われてるイメージなんだけど、
逆に食事中にテレビつけていいかとか、畳の縁を踏む踏まないとか、そういう育った家庭で身につける系のマナーとか礼儀作法については
諸説あっても厳しければ厳しいほど育ちが良くて偉いみたいになってるイメージだわ。
何が違うんだろ?
http://anond.hatelabo.jp/20150927084812
元増田が所謂オタク女子とか腐女子とかだったりしても男は誘われて嬉しいとか思うの・・・?
誘ってきた相手が、特に好きでも嫌いでもない顔見知り程度の男の人と仮定して考えてみたけど、
自分が興味ないようなアニメやゲームの話しかできないような人に二人でゴハンとか誘われたらイケメンでも普通にお断りするなぁ…(イケメンとゴハン、っていうだけで話つまんなくてもオッケーな人もそれなりにいるだろうけど)
でもオタク話以外でお互いそれなりに会話ができそうな人なら、容姿が生理的に無理(BMI30超えてそうなデブとか、服装の趣味が違いすぎるとか)じゃなかったら、タイミングが合えばゴハン食べておしゃべりしてくらいはすると思う
ただ、嬉しいとかはない。友達とちょっと映画行くのにいちいち嬉しいとか思わないのに近いかも。
・・・みたいな線引きって男の人にはないの?
穏当に人生を過ごすにはどうしたらよいか
ここは日本なので暗殺されるということはないが、ヤフオクで売ろうものなら命を狙わねかねない
売句憧れるよな売句
私は結局は何かの顔色をうかがう優等生だ
上下関係を尊ぶべきだと教えられ、大人の言うことに素直に従い
主張のある人間であるべきと言われれば、適当なそれっぽい主張を見繕い
生真面目で芯のある主人公の物語を読んでみては、無骨で誠実な生き方を良しとし
嘘や騙し合いの青年漫画を読めば、斜に構えた態度をとる
結局自分なんてどこにもない
子供の頃は大人の顔色をうかがってるだけの
大人になれば世間の顔色をうかがってるだけの