4年付き合ってた彼氏と別れたあとに、セフレとかなんとか、遊びほうけてるんだって。
この前、関係持ってる行きつけのバーの店員の彼女と出会ってしまったんだってさ。
修羅場になりかけて逃げるためにそんときたまたまラインしてた俺に電話くれた。
久しぶりだったし、嬉しかった。
今度遊ぼうって言われて、先週俺んちにきて、酒飲んだ。
俺も、女の子にいいように扱われて、女性不信っていうか、好きとか恋とか愛ってなんだよって状態がずっと続いてて。
彼女なんてセフレとどう違うの?って思って適当な女ちょっとおだててSEXして、自分で自分を傷つけてた。
だから元カノがなんでこんなふうになっちゃったんだろっていったとき、気持ちが痛いくらいに分かった。
俺が優しくしてあげないとって思ってしまった。
それからずっと連絡とってて、ああ、LINEとか電話ってこんな楽しかったっけって思った。
幸せだなって思った。
今から会えない?って。
断ったみたいなんだけど、酒が入った状態で聞いた俺はすこし嫉妬してしまった。
大人気なく電話を切って、嫉妬しちゃった。俺が優しすぎるのかな。なんて意味分からんLINEを送った。
すぐ電話かけたけど、出なかった。
これが好きってやつだったっけ?
これが都合のいいアホな男ってやつか。
理由は自分より20近い年上に何度かいじめられたような経験があるからだ。
これらの体験はトラウマレベルで、自分より20位年齢が上の人に対しては
かなり警戒心を持って接するようになっている。
僕をどうにか納得させてほしい。怒りを沈めたい。
・なぜ年上を無条件で尊敬しないといけないのか。
・なぜ年下は年上のいうことを聞かないといけないのか。
・年上は生まれたのが早いので、経験・知識ともに豊富。だから教えを請うべき。
学生の頃から疑問はあったが、自分は学生なので社会を知らないだけかも知れない。
社会人になって多くの年上と付き合うと納得できる理由が分かるかもしれないと考えていた。
そして、社会人になって6年が経った今もまったく納得できていない。
「年上」だから能力が高いと感じることはない。もちろんさすがだと思えて尊敬できる人もたくさんいる。
でもそれは、同世代でも年下でも同じ割合いる。「年上」だからではない。能力に年齢は関係ないと感じている。
ならば経験はどうだろうか。たしかに経験は年齢が上な人がある。あるに決まっている。
でも会社で経験が役にたつのは人のマネージメントの部分だと思うが、「年上」だからそれが長けていると思わない。
僕が出会った「年上」の上司はクソだと思うやつも多くいた。年下の上司に素晴らしい人もいた。年齢は関係ない。
年齢と能力は関係がないと思う。むしろ年齢が上がるだけ柔軟性がなくなる分クソ率も上がるのではないか。
せめて人間的な器だけでも大きくあってくれよ!と叫びたくなるような奴とたくさん出会っ
た。
ほんとうに年上というだけで人を尊敬できない。むしろ疑ってかかってしまう。
僕が傲慢なのだろうか。僕のプライドが高いのだろうか。これは若造の傲慢で生意気な考えなのだろうか。だれが納得させて下さい。
なんか見えない敵と戦ってるみたいな気がしてる。
原作も気になるけどねえ。やっぱり映像含めての方が個人的には好きな気がするかなあ。
だから、東京ゴッドファーザーズは、気になるねえ。機会があったら観たいとは思ってる。
久しぶりに使い捨てコンタクトしたら、ずいぶん視界がチラチラするなあ…左右逆に入れたかな?
だとしても0.25の差でこんなにおかしな見え方するもんかなあ…
と思って1日終わって鏡を見たら、左目にコンタクトが入ってなかった。
いつ落ちたのかまるで分からない。
今敏監督のイメージは「千年女優」で、というかこれしか観て無かった。
かなり昔に観たのでほとんど忘れてしまっているが、イメージは固定されていた。
なんなんだろうなこの作品。と、物語が動き出すまで、結構序盤が長い。
それでも、一切ダレること無く、疾走感や浮遊感で引っ張る映像はやはり凄い。
正直、感情移入することが出来なかったけれでも、最後までついていけてしまう。
せっかくここまで出来るのに、どうしてこうしてしまうんだろう。という作品の人。
一般的には、脚本やストーリーが弱いとか言われてしまう感じの。
女優って女優を演じてるよなあ、監督が。という感想ばかりが残ってる。
こういうのが好きな人は、好きなんだろうなあ。と積極的に観たい。という人では無かった。
パプリカも、たまたま大きなスクリーンで観れる。という理由だった。
夢を題材にした作品だと知ってたので、ぐっちゃぐっちゃぐっちゃにして、
丸投げにして好きな人は好きだよね。俺マニアックだから、という作品だろうと思っていた。
が、まるで違った。夢を扱った作品なのに地に足が付いている。悪い意味に聞こえそうだが正反対だ。
導入も抜群にうまい。こういう作品をここまですんなり説明しきるのはすごい。
ストーリ展開も夢という構造を活かしながらも、複雑にし過ぎず分かりやすい。
例えば、現実だと思ったら夢だったという、多重構造ももちろんあるのだが、
それが既に意味として使われているので、根幹の土台を崩すような乱暴はなく、観客を混乱させない。
ここは現実なのかしら。をここまで丁寧に使う作品ってあんま無い。
疾走感/浮遊感のある映像は健在で、丁寧なストーリーに刺激的なアクセントを加えつつ、全体をうまくまとめあげてしまう。
ストーリーが難しい。という感想が多いのだが、夢という舞台装置に引きずられすぎてる思う。
刑事に関する話やパプリカの正体に注目すれば、伏線やセリフ、それに一見不明瞭な映像も適切に消化されている。
正直、ちょうどよすぎるほど後味が良く終わる。
パプリカを観て、今敏監督に対するイメージが大きく変わった。そして、非常に惜しくなった。
マニア受けかと思ったら、ぜんぜん大衆娯楽映画みせてくれる人じゃん。
そうそうみたいのはこんな感じなんだよ。なんだこりゃもったいねえ。と。
で、その相手自体は好きで、何か気が楽になる助けにくらいはなれたらいいなと思う場合。
本当は共感どころか(それは違うんじゃないかな…)と思ってるけど、表面上はわかった振りをするのが相手のためなのか。
それとも、そういうのは不誠実で、言い返しはしないまでも嘘はつかないよう、黙っているのが良いのか。
「嘘はつきたくない」「力にはなりたい」の両方を取ろうとするのが、そもそも欲張り過ぎなのだろうか。
片付けられない人はものが捨てられないという話はよく聞く
なぜ物が捨てられないのかというと、いつか使う時のために捨てられないのだ
使ってないのに場所をとっているものを捨てようとすると、これこれこういう時に使うんだから捨てないでくれと強く念を押される
そんな日は一生来ない
この十年で一度も来ていないことはすでに確認した
さっきハリーポッターを読んでたんだけどね。
「ハリーポッターと賢者の石」から「ハリーポッターと死の秘宝」までのタイトルをじっと見ていたんだ。
よく見たら、っていうかよく見なくてもね。
この作品、有名作品のタイトルにしては非常に普通すぎだと思わない?
ハリーポッターは今となっては伝説の作品。だけど、進撃の巨人とか、人間失格とか、そういうタイトルを見ると、
なんだろう? 面白そう 読みたいな って思うよね。だけどハリポタは、そういうタイトルのつけかたしてないのよ。
あ、ちなみに翻訳されてないほうのタイトルは知らないからその話はスルーで。日本訳タイトルのほうだよ。
ハリポタが有名だってことを知らない人が見たら、人気作品だってわからないと思うの。
一言で何かを言いあらわすのってけっこう難しいよね。うんでも、実は、ハリポタは見事にその本の内容をピッタリ言い表せていないわけでもない。
ネタバレになるから言わないけど、読み返してみて、タイトルに戻ると、その「ハリーポッターと〇〇」のアイテムの部分は何度、読み返しても、見事にしっくりくると思えることがある。
ある意味ではタイトルらしいタイトルだったのかもなって思った。次のタイトルにくるアイテムはなんだろ?ってわくわくするしね。
コピーライティングっていうのかな。タイトルで人気が変わったりすることあるよね。ネットだとそうはいかないかな。増田には普通ぽいタイトルが多いけど、
WEBサイトで「HPの作り方教えます!」とかどこにでも見るタイトルでやってたら、それだけで終わっちゃうよね?
ただ、けっこうハリポタ風に「普通+ちょい足しタイトル」は実は多い。最近、「大事なコップが割れた!?その華麗なる対処法」みたいなの多いでしょ。
「HPの作り方の極意!大事なのは強い意志」「HPの作り方は間違えるとこうなる!?その悲報を発表」とかね。
あんまり凝りすぎると逆によくわからないって去っていくからね。とんちんかんなタイトルも面白いけど、
普通なタイトルに、ちょっとだけ何かが工夫してあるものって、けっこうツボっちゃうんだよね。
そういう「地味に微妙な感じでアプローチしてあげる」って、私たちの心をかなりくすぐってくれるのだと思うよ。
だからってそうアプローチしたところで私に恋人はまだできないからね。
なんともいえないわ。
バレていないと思っているんだ