その1。でき婚を否定しようがしまいが、目の前のセックスは止められないからだ。
そもそもなぜでき婚という結果が起こるのかというと、もちろん婚前交渉があったからだ。
しかし今ではそれが堂々と咎められることは少ない。婚前交渉という言葉自体、死語である。
年頃の男女が交際していればセックスをするのが当然であり、
結婚相手に純潔を求める者はもれなく処女厨であるという風潮になった。
それは結構。しかしそれを肯定しておいて、その結果一定の確率でどうしても起こる事態を否定するのは、
一貫性がないじゃないかと思う。だったら最初からセックスすべきじゃないだろうよ。
原因を肯定して結果も受け入れるか、原因を否定して結果も否定するか、
このふたつにひとつだと思うのだが、どうにもならない。ならもう、どうにでもなあれ。
その2。誰ができ婚しようと、自分にとってはどうでもいいからだ。
でき婚したカップルが学業や趣味を諦めようと、生活レベルが落ちようと、
その後すぐ離婚しようと、自分と関わりのない人間がやる分には大して支障がない。
それと、世間体が悪いというのはあるが、個人的にはこれもどうだっていいと思う。
精神面では人それぞれとして、結婚や出産や育児にはどうしても出費が伴う。
今風に言えば、金銭面でコスパの悪い行動をわざわざ取ってくれるのだ。
そんなカモはむしろ大事にすべきである。なぜ批判せねばならないのか。
自分以外のみんなにどんどんやってもらった方がいいに決まってるじゃないか。